乳がんに対する左乳房切除術(全摘手術)後の疼痛とそれに伴う肩関節可動域の制限に対する指圧治療の一例報告:宮下雅俊

宮下 雅俊
株式会社日本指圧研究所世田谷指圧治療院てのひら 院長

Shiatsu Therapy for a Patient with Post-mastectomy Pain and Limited Shoulder Joint Range of Motion Caused by Total Mastectomy

Masatoshi Miyashita

 

Abstract : This report examines the case of a patient who received shiatsu treatments following total mastectomy of the left breast in the treatment of breast cancer. Following treatment, relief of postsurgical pain and improvement in the shoulder joint’s range of motion were observed. Pain was treated using standard Namikoshi shiatsu techniques such as fluid pressure and suction pressure applied to the skin, and the shoulder joint was treated using a combination of pressure applications and mobilizations. We conclude that in this patient, these shiatsu techniques helped to relieve postsurgical pain and improve the shoulder joint’s range of motion.

Keywords: breast cancer, skin, scar, shoulder joint range of motion, mastectomy, post-mastectomy neurogenic pain, shiatsu, mobilization


Ⅰ.はじめに

 国立がん研究センターの「2015年のがん罹患数、死亡数予測」の統計データによると1)、わが国では女性の癌の中で一番患者数が多いのが乳がんである。乳がんの患者は年々増加傾向にあり、罹患数が増加するのに比例して死亡数も増加しているのが現状である。

 今回、乳がんに対する左乳房切除術(全摘手術)後の左胸部の疼痛と、処置部位の瘢痕拘縮が原因と考えられる肩関節可動域の制限が現れている患者に対し、まず左胸部の指圧は皮膚の柔軟性、伸張性を改善することを重点において施術、それから全身指圧を施した。

 指圧療法は、世間一般的には、筋肉にアプローチするものとイメージされていることが多い。しかし、指圧は筋肉、神経、血管、骨、腱、内臓、皮下組織など、身体のあらゆる箇所を対象に、皮膚の上から押圧または運動操作を施し、人体のあらゆる反射を利用する手技療法と言える。

 皮膚は身体の全表面を覆い、内部の諸器官を外部からの刺激、衝撃から保護するとともに、独自の生理機能を持って身体全体の調和に関係している器官である。皮膚は薄いながらも表面積が広いので、その重さは体重の約8%にもあたり、内臓の中で最も重い肝臓の約3倍になる。いわば、皮膚は身体の最大の器官ということができる2)

 マイスナー小体やパチニ小体といった、皮膚の感覚受容器に働きかける指圧療法は、皮膚とは密接な関係にあるが、皮膚の柔軟性、伸張性に着目した指圧の症例報告は少ないので、この度は、乳房切除術後の患者に対し、特に胸部、腹部、肩周囲の皮膚の柔軟性、伸張性を改善するよう指圧してから全身の指圧施術をし、その前後で写真撮影を行い、肩関節前方挙上(肩関節屈曲)可動域の変化を確認したのでここに報告する。

Ⅱ .対象

施術対象:44歳 女性 個人事業主

場  所:世田谷指圧治療院てのひら

期  間:平成 27年9月 11日

主  訴:乳がんに対する左乳房切除術(全摘手術)後の左胸部瘢痕(図1)の疼痛と左上肢の動作痛、またそれに伴う関節可動域の制限

治 療 法:基本指圧を応用し、仰臥位で瘢痕の創傷部離解が起きないように、瘢痕に直接片手掌圧を加えて皮膚移動を抑えながら、もう片方の手で瘢痕の周りを片手掌圧し、瘢痕を中心とした八方の遠位方向に、流動圧法を加える二点圧を使用した。左胸部の瘢痕への指圧は、瘢痕周辺の皮膚の柔軟性、伸張性を向上させることを目的に指圧を行った。

 その後、全身の調整として、仰臥位にて、胸部、腹部、肩周囲部、上肢帯、頸部、頭部の指圧を行った。

 横臥位にて、頸部、肩上部、肩甲間部、肩甲下部、上肢帯への指圧と肩関節、肘関節の運動操作を行った。

 伏臥位にて、仙骨部掌圧・股関節伸展操作による骨盤調整を行い、臀部、大腿後側部、下腿後側部、足底部の指圧を行った。

 圧法の種類は、通常圧法、持続圧法、吸引圧法、流動圧法、振動圧法を適宜に使い分けた3)

図1 患者の乳がん乳房切除術後の瘢痕
図1 患者の乳がん乳房切除術後の瘢痕

Ⅲ .結果

[現病歴]

 平成 27年8月 19日、乳がんにより左乳房切除(全摘手術)を行ってから、左胸部の疼痛と動作痛が現れた。それに伴い、肩関節前方挙上(肩関節屈曲)可動域の制限も現れた。

[既往歴]

27歳 局所性左乳がん発症 ステージⅠ

温存手術 +化学療法 +放射線治療を受けた

[家族歴]

なし

[術前所見]

自覚所見

  • 乳房切除術後からある肩こり
  • 乳房切除術後からある背中の張り
  • 乳房切除術後の左胸部(瘢痕)の疼痛
  • 乳房切除術後からある左胸部(瘢痕)の上肢の動作痛
  • 乳房切除術後からある肩関節の前方挙上(肩関節屈曲)可動域の制限
  • 乳房切除術後からある胸部の皮膚の突っ張り感(瘢痕拘縮と考えられる)
  • 便秘
  • 倦怠感

他覚所見

  • 発汗
  • 両上肢の周径に顕著な左右差は見られない
  • 肩関節の前方挙上(肩関節屈曲)の可動域の制限あり(図2)
  • 触診により胸部の皮膚の柔軟性、伸張性の低下を感じる
  • 仰臥位時に肩関節の自動運動、他動運動をすると左胸部(瘢痕)に痛みを訴える
  • 瘢痕に直接片手掌圧を加え、瘢痕の移動を抑えながら肩関節の他動運動、自動運動をすると痛みが減少することを確認した

[術後所見]

自覚所見

  • 肩こりが軽減した
  • 背中の張りが軽減した
  • 術後の瘢痕の疼痛が軽減した
  • 術後からある瘢痕部の上肢動作痛が軽減した
  • 術後からある肩関節前方挙上(肩関節屈曲)の可動域が向上した
  • 胸部の皮膚の突っ張り感が軽減した(瘢痕拘縮と考えられる)

他覚所見

  • 肩関節前方挙上(肩関節屈曲)の可動域が向上した(図3)
  • 触診により胸部の皮膚の柔軟性、伸張性が向上した
  • 肩関節の運動痛が軽減した

図2 指圧施術前
図2 指圧施術前

図3 指圧施術後
図3 指圧施術後

Ⅳ .考察

 本症例の施術前後の画像(図2、3)を比較したところ、指圧による押圧操作と運動操作により、肩関節前方挙上(肩関節屈曲)の関節可動域が改善したのを確認できた。これは、福井4)が提唱する皮膚運動の5つの原則と照らし合わせると、瘢痕の影響により肩関節挙上運動に生じていた制限が、指圧による瘢痕周囲の皮膚の柔軟性、伸張性の向上により改善され、肩関節の可動域に変化が起きたためと考えられる。

 また、今回治療で使用した、流動圧法、吸引圧法、また基本指圧にもある撫で下ろしなどの圧法は、筆者の臨床上の経験から、皮膚を誘導する方法として非常に効果の高い手技であると考えている。福井4)は、皮膚を適切な方向に誘導することで関節運動が楽に行えるように感じるのは、浅筋膜で隔てられた浅層部と深層部が、互いに反対方向に移動する滑走状態を作り上げているからではないかと推測しており、上記の手技はこれと同じ効果を出しているとも考えられる。

 もちろん、指圧刺激が筋の柔軟性に及ぼす効果についての報告が複数存在する5~7)ことからも、皮膚、筋、両方の相乗効果とも推察できる。また、指圧施術後に、胸部の皮膚の突っ張り感の軽減と、瘢痕の疼痛が軽減したとの患者の報告から、左乳房切除術後の神経障害性疼痛と思われる症状にも効果があったと推察される。

 乳癌術後の症例として真っ先に頭に浮かぶのはリンパ浮腫であろう。2006年日本乳癌学会研究班の北村らによるリンパ浮腫の発症率の調査によれば、1379例の一側性乳癌術後のうち、平均術後観察年数は 3.9年、全体のリンパ浮腫発症率は50.9%、うち重症が 46.6%と報告されている8)

 本症例では、左乳房切除術後 23日後に指圧治療を行った。その際の所見では、両上肢の周径に大きな左右差は見られなかったが、術後から左胸部の疼痛、皮膚の突っ張り感があり、術後の左胸部は感覚低下があるとのことだった。また、左上肢を自動・他動運動で動かすと痛みが増強し、肩関節の可動域制限もみられ、QOLの低下を訴えていた。これらの症状は、日本緩和医療学会が発表している、がん疼痛の薬物療法のガイドライン 2010年版9)の乳房切除後疼痛症候群(post-mastectomy pain syndrome:PMPS)の特徴である。『上腕後面、腋窩や前胸壁部などにおける、感覚低下を伴う締め付け感や灼熱感などが多い』、『術後痛の強さや腋窩郭清が発現率に関連する』、『しばしば上肢運動によって痛みが増強するため、有痛性肩拘縮症となる』、『術直後~半年までに発症することが多い』と重なる部分が多く、本患者は乳房切除後疼痛症候群を発症していたのではないかと考えられる。乳房切除後疼痛症候群は、手術、放射線療法、化学療法による肋間上腕神経障害が関与すると言われており10)、約 20%の患者は術後 10年経過しても症状が残存するとの報告もある11)。今回は一症例のみの紹介であるが、本症例における症状の改善は、指圧治療が乳房切除後疼痛症候群に有効である可能性を示唆するものと考える。

 日本リハビリテーション医学会の発行する、がんのリハビリテーションガイドラインでは、肩関節可動域の改善、上肢機能の改善、リンパ浮腫の発症リスクを減少させるなどの目的で、包括的リハビリテーションを行うように強くすすめられている12)

 しかしながら、根岸ら13)が近年、乳がん術後の入院日数が短縮傾向にあり、リハビリテーションとその指導が十分に行われないままに退院する患者が増加していることを挙げており、指圧師が包括的なリハビリテーションの知識と、それに対応しうる施術技術を持つことで、医療機関を退院した乳がん術後の患者に対してその役割を十分果たせると考えられる。

 今回疼痛の程度を評価していなかったため、今後の課題としてNRS(Numerical Rating Scale)や、VAS(Visual Analogue Scale)などの評価スケールを用いた、乳房切除術後の痛みの程度の変化も評価検討したい。

Ⅴ .結論

 指圧治療により、乳がんに対する乳房切除術(全摘手術)後の患者に対し、指圧の押圧操作と運動操作を併用することで、肩関節可動域の制限が改善できる可能性がある。また、乳がんに対する乳房切除術(全摘手術)後の疼痛を緩和させ、上肢の動作痛も軽減される可能性がある。しかし、今回は1例のみの報告であるため、さらに症例を重ね検討したいと考えている。

参考文献

1)国立がん研究センター:2015年のがん罹患数、死亡数予測,http://www.ncc.go.jp/jp/information/ press_release_20150428.html
2)朝田康夫:美容皮膚科学事典 ,中央書院,p.4, 2002
3)浪越徹:完全図解指圧療法,日貿出版社,p.58-59, 1979
4)福井勉:皮膚運動学 ,三和書店,2010
5)浅井宗一 他:指圧刺激による筋の柔軟性に体する効果,(社)東洋療法学校協会学会誌(25);p.125-129,2001
6)菅田直紀 他:指圧刺激による筋の柔軟性に体する効果(第2報),(社)東洋療法学校協会学会誌(26);p.35-39,2002
7)衛藤友親 他:指圧刺激による筋の柔軟性に体する効果(第3報),(社)東洋療法学校協会学会誌(27);p.97-100,2001
8)北村薫 他:乳癌術後のリンパ浮腫に関する他施設実態調査と今後の課題 ,日本脈管学会機関誌50;P.715-720,2010
9)日本緩和医療学会:がん疼痛の薬物療法に関するガイドライン 2010年版,http://www.jspm.ne.jp/ guidelines/pain/2010/chapter02/02_01_03. php#top
10)Vecht CJ et al: Post-axillary dissection pain in breast cancer due to a lesion of the intercostobrachial nerve, Pain 38(2) ; p.171-176, 1989
11)Macdonald L et al: Long-term follow-up of breast cancer survivors with post-mastectomy pain syndrome, Br J Cancer 92(2); p.225-230, 2005
12)日本リハビリテーション医学会:がんのリハビリテーションガイドライン,金原出版,p.54-75, 2013
13)根岸智美 他:乳癌術後リハビリテーションにおける肩関節可動域運動の開始時期の検討,理学療法学第 13巻第1号,p.18-21,2016


【要旨】

乳がんに対する左乳房切除術(全摘手術)後の疼痛とそれに伴う肩関節可動域の制限に対する指圧治療の一例報告
宮下 雅俊

 本症例では、乳がんに対する左乳房切除術(全摘手術)後の左胸部疼痛と、肩関節可動域の制限がある患者に対し、指圧治療を行い、疼痛の緩和、肩関節可動域の改善が見られた。疼痛に対するアプローチとしては、皮膚に対して流動圧法、吸引圧法などの基本指圧の応用操作を行い、肩関節に対しては押圧操作と運動操作を併用して治療することで、効果を得られたものと推察する。

キーワード:乳がん、皮膚、瘢痕、肩関節可動域、乳房切除術、乳房切除後神経性疼痛、指圧、運動操作