随筆:いのちを救う押圧~指圧師が遭遇した救急救命の現場~:衞藤友親

1.はじめに

日本指圧専門学校のホームページに、卒業後の進路のひとつとしてスポーツトレーナーが紹介されています。

 私の場合は一般的にイメージされるスポーツトレーナーとは若干ニュアンスが異なりますが、一応トレーナーのはしくれとして生計を立てております。平成13年当時、すでにトレーナーとして体育実技の授業補助業務を担当していた私は、業務内容を充実すべく(そしてあわよくば学内で開業できないかとたくらみつつ)日本指圧専門学校に入学しました。卒業および資格取得後も学内の体育館にて授業補助を主とした業務を担当しています。業務内容は、体力測定の実施、結果集計、還元、解説、トレーニング指導、器具の使用法説明など様々です。指圧の技術が活きていないようにも見えますが、大学の仕事が今ほど忙しくなかった時には業務終了後に訪問治療を行っていたこともありました。また、各運動部の学生を対象に肩や腰の調子を指圧で整えたりもしています。

 そのような日々を過ごす中で、押圧操作を修練することで獲得した身体動作および知識が人命救助に繋がった事故の例を報告いたします。命の危機に瀕している人にそもそも遭遇しないことが平穏無事な人生ではありますが、万が一の事態に居合わせた時の参考にでもして頂ければ幸いです。

2.事故発生状況

 平成25年10月某日、16時過ぎからの授業に於いてある事故が発生しました。その日もごく普通に体力測定の授業補助業務を遂行し、受講者を数班に分けて反復横跳びの計測をしていました。反復横跳びは、1メートル間隔で引かれた3本のラインを20秒間で何回踏み越すもしくは踏むことができるかを計測する敏捷性のテストです。

 試技終了を告げる電子タイマーのブザー音と同時に学生がひとり倒れました。直前まで元気にステップしていたので、その勢いのまま受け身もとらず、まるで急に電源が切れたかのように身体が床に打ちつけられました。私は学生の後方に位置しタイマーの操作をしていました。(主観ではスローモーションのように)倒れていく学生を見ながら、過去に授業中にてんかん発作によって転倒した学生のことを思い出しました。今回もきっとそのような症状だろうと見込みながらその学生に近づきました。万が一気を失っていたとしても、転倒の衝撃によるものだろうとも見込みながら。この想定が結局は大はずれだったのですが、結果的には落ち着いて対処できる要因にも繋がったとも思えます。

3.当該学生の症状と救助時の心境

 呼びかけても返事をしないし、四肢は泥酔時のようにぐったりとしている。様子を観察すると同時並行の自然な流れで橈骨動脈を触診していました。
指圧師は指先の感覚が鋭敏であると思っています。また、人様の身体に触れ、脈をとるスキルにも長けていると思います。当該学生の脈は浅く速く弱く、理性では「脈あり」と判断していましたが、指先から伝わる違和感に突き動かされるように次の行動を起こしていました。

 訓練では心停止している患者に対してはすぐさま119番通報とAED(Automated External Defibrillator自動体外式除細動器)の手配を依頼するのですが、この時の私は半信半疑で、同僚のトレーナーA氏に対して119番通報ではなくAEDを持ってくるように指示を出しました。指示の出し方も訓練時の叫ぶような口調ではなく、「とりあえずAED持って来ましょうか?」的なのんきなものでした。幸いだったのは、たまたまシフトの都合でもう1名いた別のトレーナーB氏が「AED」の単語だけですべてを理解し迅速に行動して頂けたことです。結果的には直接指示を出していない(出し忘れた)119番通報までして頂けたので非常に助かりました。

 理性では「脈あり」、指先では「異常」を感じたままAEDの到着を待ち、当該学生を注意深く観察しました。理性では「AEDを装着しさえすれば、異常なしの音声が流れるはずだ」と固く信じていました。しかし、当該学生の顔色は徐々に蒼白となり、脈も徐々に弱まっていくように感じられました。単なる気絶でも重篤な心停止でもどちらに転んでもいいように、とりあえず片手での胸骨圧迫(心臓マッサージ)を開始しました。以前に講習にて、胸骨圧迫を正確に行った場合の心拍出量は約20ccであることを学んでいたので、およそ20cc以下程度の弱い押圧で胸骨圧迫をやってみようと半ば無意識に手が動いていました。あとから冷静に考察すると、胸骨、肋骨、心臓その他臓器を極力傷つけずに血中の酸素だけを脳と心臓に送りたかった心境が投影されての圧だったと思います。

 やがてAEDが到着し、訓練やマニュアルの手順とは異なり二人で手分けして電極パッドを装着し、自動解析がはじまりました。単なる失神であるとこの期に及んでも強く信じていたのでただひたすら「ショックの必要はありません」の音声を待ちました。そう告げてくれれば救助している我々にとっても当該学生にとっても平穏な日常が戻って来る、と祈りながら。

 ところがAEDからの音声指示は、訓練で聞きなれた「電気ショックが必要です」でした。その音声を聞いて、遅ればせながらこの時はじめて「絶対にこの学生を助けなければならない!」という強い意志へスイッチが切り替わりました。そこからはマニュアルに従い訓練通りの動きを意識的に行いました。電気ショックの後、最低5cm毎分120回のリズムで垂直に押す胸骨圧迫と人口呼吸を併用しました。その処置が1~2分経過したころ、死戦期呼吸のような反応がみられました。一応死戦期呼吸と判断して胸骨圧迫と人口呼吸を続け、正常な呼吸に近づきつつあると判断した時点で回復体位に体位変換しました。

 体位変換後も、俗に「三途の川を渡りかけている時は呼べばこちらの世界に返って来る」と言いますが、当該学生の耳元で頑張れとか呼吸しろとか、叫ぶように励まし続けていました。

4.救急隊到着から搬送

 119番通報をお願いしたトレーナーと体育事務室および守衛所の連携が円滑に行われ、救急隊が到着したのは学生が倒れてから7分以内であったのを覚えています。

 救急隊は3名ずつ都合2隊到着しました。先発隊の判断から後発隊が要請されたのか否かは明瞭には覚えていません。先発隊の処置を横目に見ながら、AEDの使用や状況の詳細を隊員に説明しました。後発隊の酸素吸入が開始されると、当該学生が不明瞭ながら声を発するようになり、状況からとりあえず危機的事態は脱したように感じ取れました。しかし、現場で当該学生の意識がしっかりと戻るのは確認できぬまま搬送されました。

 事故発生から搬送までの時間はおよそ20分弱くらいでした。その間、授業担当の先生には当該学生以外の受講生の対応などをしていただき、当該学生の付添もしていただきました。私を含めたトレーナー3名はトレーニング場を開放する通常業務に復旧すべく原状回復などを行いました。

 通常の開放業務を行いつつ、搬送先の病院からの連絡を待ちました。自分自身人生初の心肺蘇生法の実践がとりあえず蘇生の帰結を見たのには安堵していました。しかし、少し落ち着いてから冷静に顧みると、片手による圧迫は充分だったか?胸骨圧迫開始までの時間がかかりすぎていなかった?など、不安に思うことが増えていきました。

 事故発生から約90分後、病院に付き添った先生から当該学生の意識が回復し、簡単な会話ができるようになったとの電話連絡がありました。国家試験に合格した時以来の安堵感を覚えました。意識回復の連絡を受けて、その日は通常よりも2時間強遅く帰宅しました。

5.後日の顛末

 使用したAEDは病院で詳細に解析されたらしいです。加えて、メーカーによる電池残量の点検などを経て事故発生から6日後に返ってきました。平常を取り戻しつつも、当該学生のその後の様子や原因が気がかりでした。心のもやもや感を解消すべく、AEDによって命をとりとめた実例をまとめた書籍を読んだり、インターネット上の情報にあたったりしながら日々を過ごしました。

 事故発生から約50日後の11月下旬、倒れた学生本人が挨拶に来てくれました。倒れた時は当然体育の授業中で運動着姿でしたので、私服でしっかりとした足取りで来られた時は一瞬誰だったか思い出せませんでした。30分弱話をする中で、事故発生前後の記憶が曖昧であること、精密検査のため退院が遅れかつ転院したこと、本人も気づかなかった遺伝的な疾患が原因であったこと、などを丁寧に教えてくれました。

 もし街中で人命救助をしていたら、本人からこちらを訪ねて来て頂いて詳細に説明してくれはしないのではないか?と考えると、改めていろいろな不幸中の幸いに恵まれたのだな、と感じました。

 本人から無事に学生生活に復帰できそうだとの報告を受けて、関係各所にしかるべき連絡をいたしました。事故発生から約70日後の12月下旬に消防署長から、更にそれから20日後の1月上旬に学長から、それぞれ感謝状を賜りました。ここに至ってしっかり、はっきりと心の中の整理が決着した気がしました。

6.考察および指圧師として

 日本で一般市民によるAEDの使用が認められたのが平成16年7月です。私はその年の4月にあマ指師免許を取得しました。その2年後の平成18年6月に当時住んでいた平塚市で普通救命講習を受講しました。当時はそんなに意識していませんでしたが、AEDの一般使用が認められてから比較的早い段階で救命講習を受けていたことになります。実技講習の中で印象に残っているのが、ご指導いただいた消防署員から胸骨圧迫を褒められたことです。休憩中、その方との雑談の中で「僕は指圧師なので垂直に圧すコツはつかんでいます。」とお話しさせていただいたのは今でもはっきり覚えています。指圧界の言葉に訳すと、膝で下半身の体重を支え、重ね掌圧で肘を伸ばし、上半身の体重を上手に使いながらリズミカルに圧す、とでも言えましょうか。または、胸骨体に対する重ね掌圧による手掌基部を用いた流れない流動圧法、とも(無理矢理)言えなくもないでしょうか。

 手技療法士は他人様の身体に触れることが業務の大前提です。主観ですが、中でもとりわけ指圧師は「垂直に圧す」ことに関しては一番敏感であると思います。心肺蘇生法の胸骨圧迫は、垂直に圧さなければ有効に酸素(血液)が送れないのと同時に、肋骨・胸骨損傷のリスクがあるとされています。「垂直に圧す」ことを学び、習得していて良かったとその当時も思いましたし、実際に人を助けることができた今も思っています。

 先にも述べた通り、脈をとるスキルも指圧師は長けていると思います。基本指圧において腋窩を圧す時、ポイントをきちんと押さえられているか否かを確かめる手段として橈骨動脈を触診します。何回も繰り返し行えば、たくさんの人の様々な脈の様子が指先にカルテのように蓄積されていきます。異常な脈だと判断できたのもこのおかげだと思っています。

 日々の業務に追われて忙しいあマ指師の方々も多いとは存じますが、ぜひお近くの消防署や日本赤十字社が主催する救急法講習会を受講することを強くお勧めします。確率はかなり低いかもしれませんが、救急救命の現場に居合わせた時に慌てなくて済みますし、指圧師のスキルの応用としては親和性がかなり高いとお気づきになるはずでしょう。

 ちなみに講習で使われる人形は、胸骨圧迫の感触が実際の人間を圧迫したときの感触と驚くほど似ています。開発者の努力に頭が下がります。

7.おわりに

 事故発生から約1年後、生涯3度目となる救急法の講習を受講しました。人を助けたからといって決して驕っていたわけではないのですが、電極パッドを貼る位置などのズレをご指摘いただきました。救急法のスキルも指圧のスキルも、日々勉強してブラッシュアップしていく必要性を感じました。
 また、想像の範疇を超えませんが、精神的にも物理的にも人様と接触する指圧師のスキルは、介護や保育や生活の様々な場面で応用可能なはずです。いずれはそちら方面の研究もしてみたいです。


参考文献 

1) 石塚寛:指圧療法学 改訂第1版,国際医学出版,2008
2) 島崎修次 監修,田中秀治 編:AED 街角の奇跡,ダイヤモンド・ビジネス企画,2010
3) 日本赤十字社 編:赤十字救急法基礎講習,日赤サービス,2012