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ウマを対象とした前頚部指圧による心拍数の変化:衞藤友親

衞藤友親
明治大学体力トレーナー

Heart Rate Changes of Horses Due to Shiatsu Treatment to the Anterior Cervical Region

Tomochika Etou

 

Abstract : Observing heart rate of horses, we studied whether non-human mammal reacts to the shiatsu treatment in the same way as the human body does. As the result, the significant decrease in heart rate due to the shiatsu treatment to the anterior cervical region was observed. Since the results of past studies regarding shiatsu treatment including case reports are corresponding to the physiological mechanism of animals’ cataleptic freezing reaction, it leads to a hypothesis that the shiatsu treatment to the anterior cervical region aims to secrete glucocorticoid by stimulating HPA axis.


I.諸言

 浪越式基本指圧において前頚部は他の部位に先行して施術される。  系統的な施術順序の成立は、浪越徳治郎の経験を基に他所から始めるより前頚部から始めた方が、より効果的な治療結果が得られた事実の蓄積が根拠であろうことは想像に難くない。他方、科学的根拠が薄弱である事実も否めない。

 科学的根拠を示すべく、これまでの研究により前頚部指圧が全身に影響を及ぼす事象が何例か報告されている1)2)3)4)。そこで、一般的な医学・生理学と同様に動物を用いた前頚部への指圧実験を試みた。

 なお、イヌやネコなどの愛玩動物では頚部が短く、指圧中の対象の固定が難しいことが予測されたため、頚部が長く固定が容易な役畜であるウマを対象とした。

Ⅱ.方法

1.対象

 健康成馬10(セン2頭・メス8頭)
 年齢 3~18歳(ヒトの10~70代相当)

2.実験期間

 2014年5月24日~6月15日

3.場所

 御殿場市:ウエスタンライディングクラブ ロッキー
 山中湖村:ふれあい乗馬楽園 クローバー牧場

4.環境

 いずれの乗馬クラブも屋外にて、気温25.0±3.0℃, 湿度50±5%

5.測定機器

 ウマ用心拍計(POLAR社製AE-300S,図1)及びデジタルビデオカメラ

図1. ウマ用心拍計(POLAR社製AE-300S)
図1. ウマ用心拍計(POLAR社製AE-300S)

6.手順

 装鞍し繋場に繋いだウマに測定器を装着し、20分間安静を保ったのち心拍計に表示された数値を90秒間デジタルビデオカメラにて録画した。

 安静計測後、前頚部5)相当部位(上腕頭筋内側,図2) 6)6点3回を約80秒間(1点約2秒×18×2≒72秒+移動時間)指圧し同様に録画した。 圧の強さはヒトと同様快圧5)とした。 録画された数値を15秒毎に用紙に記録したのち、平均値±標準誤差を集計した。安静計測値を安静群、指圧測定値を指圧群とした。

図2. 上腕頭筋内側(前頚部相当部位)
図2. 上腕頭筋内側(前頚部相当部位)

7.解析

 各群0秒時点のデータと15秒毎のデータ各間で対応あるt検定(Bonferroni補正)を行った。 有意水準は危険率5%未満(P<0.05)とした。

III.結果

 指圧開始30秒後時点から低下傾向が観察され、90秒後時点で有意に低下した 。コントロール群では低下傾向は観察されなかった(図3)。

図3 心拍数の変化 図3 心拍数の変化 

IV.考察

 まずヒトに対する前頚部指圧の効果を考察する。先行研究2)より指圧により一過性の血圧上昇が生じるとその後血圧が下がることが報告されている。これは、頚動脈洞および大動脈の壁などにある圧受容器がそれを感知し、それぞれ舌咽神経と迷走神経を伝導路として求心性インパルスを延髄の心臓抑制中枢(迷走神経背側核)に連絡する7)機序によるものと考える。また、胸部手術の際誤って迷走神経に触れると血圧下降や心拍停止を招く8)ことから、指圧により迷走神経に物理的刺激を与えても負荷減弱反射を誘発する可能性があると考える。

 次に、動物が頚部を刺激されて心拍数を下げなければならない状況を汎動物学9)的視点から考察する。

 外敵に囲まれる、接触される等、恐怖を感じた動物はすくみ行動、威嚇行動、攻撃行動、逃走行動を示す10)と思われる。威嚇・攻撃・逃走行動は心拍数を増加させる必要が生じるが、すくみ行動の場合は隠れる、死んだふりをするために心拍数を減少させる必要が生じる。すくみ行動発動の機序として以下のような経路11)が考えられる。

A-1. 恐怖や不安などの情動的・心理的ストレス刺激により大脳皮質が興奮し、扁桃体へ連絡され評価される。
A-2. 扁桃体から腹外側中脳中心灰白質への連絡ですくみ行動発現。
A-3. 心臓抑制7)。胃運動抑制12)

B-1. 外部接触・深部知覚などの身体的ストレス刺激が視床下部室傍核へ連絡。
B-2. HPA軸が興奮。
B-3. CRH(副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン)・ACTH(副腎皮質刺激ホルモン)・グルココルチコイド分泌。

 グルココルチコイドの作用としてグリコーゲン合成作用、抗炎症作用、利尿作用、胃粘液抑制作用、筋疲労回避作用などが挙げられる。また、カテコルアミンやグルカゴンはグルココルチコイドが存在しなければ血圧上昇作用や血糖上昇作用を発揮せず(許容作用)、さらにアドレナリンや成長ホルモンによる脂肪組織からの脂肪酸動員にも関与13)する。

 これらの作用はすべて潜伏に有利に働くと考えられる。またウマの場合は仙痛などの内部痛覚も、逃れられない不快感14)として上記のような反応を示すことが推察される。深部知覚が迷走神経を求心性に伝導すると考えられる。  さて、内部痛覚はじめ深部知覚の求心性インパルスが視床下部室傍核に達し、HPA軸が興奮するならば、前頚部指圧によるホルモン分泌には次のような機序が考えられる。

 負荷減弱反射により抑制された心臓の知覚は視床下部室傍核にフィードバックされ、後追いもしくは錯覚させるかたちでHPA軸を興奮させると考える。大脳皮質を経由していないので恐怖や不安の情動は伴わない。これを仮に“疑似すくみ反応”と呼ぶことにする。

 前頚部指圧により呼吸商が減少した先行研究4)は、ACTHが副腎以外の脂肪組織に作用し、脂肪分解により脂肪酸を出動せしめ酸化を促進させ、ケトン体産生増加の過程で呼吸商が低下15)した結果である可能性がある。

 “疑似すくみ反応”により胃運動に変化を与えなかった研究報告3)および皮膚炎の改善例16)17)18)の機序も同様に説明し得る。

 グルココルチコイドのひとつにコルチゾールがあるが浪越徳治郎の伝記19)にもその記述がある。但し副腎周囲を押圧したことによりコルチゾールが分泌されたとある。分泌機序の記述としては説明不足感が否めないが、“疑似すくみ反応”の機序であれば説明可能であると考える。

 また、圧迫による心拍低下の例として乳児突然死症候群(SIDS)が挙げられる9)。  警戒による除脈がヒトに於いても発生することを示唆する症例ではあるが、前頚部への指圧を慎重に施術しなければならない理由とも言えよう。

 ウマの場合に戻って考察する。森林と草原をトレッキングした場合に森林の方がコルチゾールの分泌量が多い20)という報告があることから、外敵を発見しにくい森林の方がよりすくみ行動-HPA軸興奮が起こりやすくなっていると解釈すれば、今回の仮説を補強するものであると考える。

 なお、ウマに対する体系的なマッサージ21)ではヒトの後頚部に相当する部位から施術する。ウマに対して必要以上の警戒心や不安を抱かせない配慮であると考えられる。前頚部への指圧が細心の注意を要するのは、本来は不快感を与えてしまうおそれのある部位への施術であるからで、ここに指圧とマッサージの生理機序の本質的相違点の端緒が含まれているように思われる。即ち“疑似すくみ反応”の有無である。

 以上、前頚部指圧によりHPA軸が興奮し得る仮説を展開した。しかしながらこの仮説には多分に推論が含まれるため、ヒトに於いてもウマに於いても実際に指圧時のコルチゾール測定等が今後の課題となる。

 また、ヒト以外の動物に対する指圧療法の効果の研究が深まれば、指圧によるアニマルウェルフェア20)(動物福祉)分野への貢献も可能であると考える。

V.結論

 ウマに対する前頚部指圧により、心拍数が有意に低下した。

VI.参考文献

1) 小谷田作夫他:指圧刺激による心循環系に及ぼす効果について,東洋療法学校協会学会誌(22),p.40-45,1998
2) 井出ゆかり他:血圧に及ぼす指圧刺激の効果.東洋療法学校協会学会誌(22),p51-56,1999
3) 加藤良他:前頚部指圧が自律神経機能に及ぼす効果,東洋療法学校協会学会誌(32),p.75-79,2008
4) 衞藤友親他:前頚部指圧による呼吸商の変化,日本指圧学会誌(1),p.11-13,2012
5) 浪越徹:完全図解指圧療法普及版,日貿出版,1992
6) Klaus-Dieter Budras,Sabine Röck,橋本善春:馬の解剖アトラス 第3版,p.52-53,チクサン出版,2005
7) 真島英信:生理学 第18版,p.389-390,文光堂,1990
8) 真島英信:生理学 第18版, p.413-414,文光堂,1990
9) Barbara N.Horowitz, Kathryn Bowers著,土屋晶子訳:人間と動物の病気を一緒にみる,p.185-207,2014
10) 坂井建雄,久光正監修:ぜんぶわかる脳の事典,p.124-127:成美堂出版,2014
11) 坂井建雄,久光正監修:ぜんぶわかる脳の事典,p.130-131:成美堂出版,2014
12) 真島英信:生理学 第18版,p.443:文光堂, 1990
13) 真島英信:生理学 第18版,p.535-536:文光堂,1990
14) 小山なつ:痛みと鎮痛の基礎知識(上),p165-166:技術評論社, 2010
15) 真島英信:生理学 第18版,p.557-559,文光堂,1990
16) 金子泰隆:アトピー性皮膚炎に対する指圧治療,日本指圧学会誌(1),p.2-5,2012
17) 金子泰隆:アトピー性皮膚炎に対する指圧治療(第2報),日本指圧学会誌(2),p.13-21,2013
18) 千葉優一他:アトピー性皮膚炎に対する指圧治療.日本指圧学会誌(2),p.22-25,2013
19) 浪越学園・日本指圧専門学校監修:浪越徳治郎 指圧一代記,p.24-25:テレビ朝日コンテンツ事業部,2005
20) 松浦晶央:日本在来馬の動物介在活動・療法・教育への利活用に関する研究,2011 http://kaken.nii.ac.jp/d/p/23780270/2011/ja.ja.html
21) Patricia Whalen-Shaw著,内田恵子訳,山縣真紀子編:馬のヒーリングマッサージ,p.11-14,日本ウマ科ヒーリング・マッサージ協会,2005


【要旨】

ウマを対象とした前頚部指圧による心拍数の変化
衞藤友親

 ヒト以外の哺乳動物に指圧を施した場合でもヒトと同じ反応が起こり得るか否かについて心拍数を基準として計測した。ウマに於いても前頚部指圧による有意な心拍数の低下が観察された。動物のすくみ反応時の生理機序と、これまでの指圧研究・症例報告の結果が矛盾しないことから、前頚部への指圧はHPA軸を刺激することによるグルココルチコイドの分泌を狙った施術ではないか、との仮説に至った。

キーワード:前頚部指圧、心拍数、ウマ、すくみ反応、グルココルチコイド