石原 博司
石原指圧治療所 院長
永井 努
永井指圧治療院 院長
Shiatsu Treatment for Facial Nerve Paralysis (Bell’s Palsy)
Hiroshi Ishihara, Tsutomu Nagai
Abstract : Facial nerve paralysis is a disease caused by various factors, and its definite treatment method is not established yet. It is also one of poor prognostic factors that the age of peak incidence of facial nerve paralysis is forties. This is a case report of a 93-year-old male patient treated with shiatsu and his symptoms was eased in three weeks although he had been diagnosed with facial nerve paralysis (Bell’s Palsy) requiring three months for recovery. The efficacy in terms of the improvement rate of the symptom and the patient safety were confirmed, and therefore shiatsu treatment potentially contributes to treat this disease.
I.はじめに
顔面神経麻痺の原因には様々な要因があるとされているが、患者から単純ヘルペスウイルスⅠ型(HSV-Ⅰ)が検出されることが多く。現代医学では、副腎皮質ホルモン療法を選択されることが多いとされている1)。今回指圧療法により、症状の緩和が見られたので、報告する。
Ⅱ.対象および方法
場所:石原指圧治療所
期間:2013年10月23日~11月6日
施術対象:93歳 男性
[現病歴]
来院の1週間前ぐらいに、顔が急に動かなくなり、医療機関にて左顔面神経麻痺と診断され、治療期間は3ヶ月と診断された。仕事柄、公けの場に出ることが多く、3ヶ月の治療期間は、仕事に支障をきたすので、短期治療を目的に当院に来院する。
[既往歴]
特記するべき事項なし。
[家族歴]
特記するべき事項なし。
[自覚所見]
- 顔の筋肉が思うように動かせない。
[診察所見]
- 左側頚部の強度なこり
- 左肩甲上部の強度なこり
- 左肩甲間部の強度なこり
[その他]
当治療院には約30年の通院歴があり、日頃から健康維持の為に、指圧療法を受けていた。1年前に尾骨を骨折し、その間通院を休まれていた。今回顔面神経麻痺が発症し、通院を再開した。
[治療方法]
- 仰臥位にて、顔面に両手掌圧を1分間行う
- 横臥位にて、左側頚部部に中圧を用いて5分間の指圧操作2)。
- 横臥位にて、左肩甲上部に中圧を用いて2分間の指圧施術2)。
- 横臥位にて、左肩甲間部に中圧を用いて5分間の指圧施術2)。
- 全身の施術を40分行う。再度1~4の操作を行う。
III.結果
[治療経過]
第1回2013年10月23日
第2回2013年10月30日
第3回2013年11月6日
- 第1回の最初の施術で顔面のこわばりが、8割ぐらいとれ症状の改善が見られた。2回目、3回目の治療で、ほぼ正常な状態に戻る、その後公けの場に出ている姿を確認した時には、全く問題は感じられなかった。その後月1回の頻度で通院を続けている。
IV.考察
顔面神経麻痺(Bell麻痺)は発症数が多いとされているが、原因が様々な要因が考えられているため、まとまった治療の方針が確立されていなのが現状である。患者から単純ヘルペスウイルスⅠ型(HSV-Ⅰ)が検出されることが多いため、副腎皮質ホルモン療法を選択されることが多いとされている。
病態として、神経浮腫、炎症細胞の浸潤、脱髄、一部軸索変性との混在が見られ、また神経炎により神経の絞扼と虚血が生じた場合二次的に神経損傷が起こる。 感染部位としては、内耳道遠位部、迷路部 膝部に認められている。
症状として、健側に比べて麻痺側の額のしわが浅く瞼列が大きく、瞬目が弱く、口角が下がる。また生活動作では、閉眼が不十分によって生じる兎眼、麻痺側の口角からの空気漏れによる、しゃべりにくくなり、液体のものが漏れて食べにくくなる症状がでる。また顔面神経経路により、麻痺側の聴覚過敏により、音が大きく聞こえる、耳介あるいは顔面の痛みやしびれを伴うことがある。また遅発性の症状として、隣接する神経に異所性再生や混信伝導を起こすことにより、病的共同運動が起こる。例えばまばたきをすると、口周囲筋を支配する神経にも活動が伝わり、麻痺側の口角が不随意に動く、あるいは、唾液腺を支配していた副交感神経が大錐体神経へ異所性再生すると、食事の際に涙が出る。また障害部位近くの神経に異所性興奮が起こると麻痺側顔面に不随意な筋痙攣が起こる1)。
今回の症例は、症状として、患者自身が思うようにしゃべる事が出来ない事や、表情がうまく作れない等が主とされる。第2咽頭弓由来の表情筋を支配する顔面神経の中の特殊臓性運動線維(SVE)に原因が求められ、味覚を伝える特殊感覚線維(SVA)、涙腺、唾液腺分泌を促す副交感性節前線維、一般臓性体性線維(GVE)、外耳道、耳介後方の感覚を伝える体性感覚線維(GSE)が含まれる中間神経には影響を及ぼしていないと考えられる。また問題の発生部位として、症状から推測されるのは、顔面神経が側頭骨から出る、茎乳突孔周辺からその先の顔面神経の経路に何かしら障害が生じたものと考えられる3)。
診察所見より、左の側頚部、左肩甲上部、左肩甲間部のこりが非常に強く、それら患部のこりがほぐれる事により症状の改善が見られた。特に側頚部1点目周辺への指圧操作は、本症例において治療効果が高い部位と思われる。浅井4)、菅田5)、衞藤6)らの指圧刺激に対して筋の柔軟性が向上したという報告や、蒲原7)らが指圧刺激に対して末梢の循環の改善が見られたとの報告がされているとおり、本症例も指圧刺激により固まっていた筋膜や筋肉がほぐれ、2次的に血流が良くなり、症状の改善が見られたと思われる。側頚部1点目周辺に関しては、解剖学的に顔面神経が出る茎乳突孔に近接している為に、何らかの要因で顔面神経が圧迫されていたものが、指圧刺激により圧迫感が緩和されたものと推測される。 血流については、左鎖骨下動脈から出る、椎骨動脈→脳底動脈の経路をたどり、顔面神経核のある橋への血流改善、甲状頚動脈→下甲状腺動脈、頚横動脈の経路たどり、頚、肩甲上部、間部の筋肉への血流改善が見られたと推測される3)。
しかしながら、表情と言うものを考えた場合、通常我々が認識する、笑顔や悲しみの微妙な表情は表情筋と顔面神経の他に前頭前野皮質が大きく関わっていると言われている。したがって、本症例は単に筋肉のこりをほぐし、血流改善によってもたらされた他にも症状改善を導く要因があったのではないかと思われる。最近、「脳と心」という主題で、その中で重要語句となる「意識」というものを神経学的観点から研究する事が本格的に始められている8)。意識を考える上で、大事な部位として、先程挙げた前頭前野皮質と情動などに関わる大脳基底核群の関連性が注目されていて、この研究では、何らかの外部刺激により、それら部位で情報交換がされ、最終的に意識の変化が得られるという可能性が指摘されている。本症例を考える時、物理的に顔面の筋肉が動かせないという状態の他に、1ヶ月後には公けの場に出て仕事をしなければならないという時に、医者からは全治3ヶ月という診断をくだされた状況の中で、来院されている。このことから、心理的にはかなり不安定な状態に陥っていた事は容易に想像がつく。先程挙げた何らかの外部刺激が最終的に意識の変化に影響を与えるのであれば、指圧療法による外部刺激が前頭前野皮質や大脳基底核群に働きかけ、不安定な状態を取り除き、意識の変化をもたらし、最終的に前頭前野皮質での微妙な表情筋のコントロールが正常な形に戻ったと考えることができると思われる8)。しかしながら、意識というものに対して、明確な定義がなされていないため、推測の域は出ていない。ただし本症例の著者である石原は指圧療法の治療効果の機序として、指圧の刺激が脳に伝達され、脳から改善の要求命令が出されて、体の状態が良くなっていくと予測している。
次に治療時間の視点から、本症例を見た場合であるが、3週間に3回の治療で症状の改善が見られている。同じ症状に対しての指圧療法の報告例がないために比較が出来ないので、短期治療効果があったかどうかという事は明確に述べられないが、医者から全治3ヶ月と診断された事や、統計的に見ると、顔面神経麻痺の発症年齢は40歳代がピークであり、予後が不良になる一因に高齢が挙げられている1)。したがって、高齢者にとっては稀な病気であり、まとまった治療方法が確立されていない現状と組み合わせると、高齢者にとって難治な病気の1つと言える。しかし、実際には3分の1以下の期間で治療結果を出しているので、この側面からは短期治療効果の可能性はあったと考えられる。これら短期治療効果に至った可能性の1つは、患者が約30年にわたり指圧療法を受けてきた事に要因があるのではないかと思う。指圧療法を長期に受ける事による、身体に与える影響に関しては、論拠立てた報告を確認出来ていないため、推測の域は出ないが、長期間指圧療法を受ける事により、ホメオスタシスが維持されやすい状態を作り出していると思われる。その状態が基本的に強ければ、本症例の急性的な症状に対しても、短期的に治療効果を出せる可能性はあったと予測される。
最後に、冒頭に述べた様に顔面神経麻痺は原因が様々考えられ、更に自然治癒の確率も高く、全体的に症例報告数が少ないために治療指針が確立していないのが現状である。しかしながら、その中でもウイルス性のものが報告される場合が多いため、副腎皮質ホルモン療法など薬剤治療が第1選択肢となることが多い。その他治療法としては、星状神経節ブロック、鍼灸、高圧酸素療法、外科治療、ボツリヌス毒素療法、マッサージ、リハビリテーション等があげられる。指圧療法も現状ではこの部類の治療法に含まれることになるが、これらの治療法を選択する場合において、薬剤治療と比較して、改善率、安全性(合併症、副作用など)、簡便性などに優れている事が重要視される1)。本症例の治療の結果はそれら条件を十分満たしていると思われる。これら総合的な面から、顔面神経麻痺の治療に対して指圧療法は貢献出来る可能性が高いと考える。
V.結論
顔面神経麻痺に対して指圧療法が治療に貢献出来る可能性が示唆された。
VI.参考文献
1) 日本神経治療学会:標準的神経治療,BELL麻痺,神経治療Vol.25 No2,p.173-175,p.182-185,2008
2) 石塚寛:指圧療法学,国際医学出版,東京,2008
3) Richard L, Drake, Wayne Vogl, Adam W,MMitchell(著)塩田浩平、瀬口春道,大谷浩,杉本哲夫(訳):グレイ解剖学原1版,p.789,p.804,p806,p.929,エルゼビア・ジャパン株式会社,東京,2007
4) 浅井宗一他:指圧刺激による筋の柔軟性に対する効果,東洋療法学会誌(25),p.125-129,2001
5) 菅田直紀他:指圧刺激による筋の柔軟性に対する効果(第2報),東洋療法学会誌(26),p.35-39,2002
6) 衞藤友親他:指圧刺激による筋の柔軟性に対する効果(第3報),東洋療法学会誌(27),p.97-100,2003
7) 蒲原秀明他:末梢循環に及ぼす指圧刺激の効果,東洋療法学会誌(24),p.51-56,2000
8) 小島比呂氏編者,大谷悟,熊本栄一,中村春和,藤田亜美著:脳とニューロンの生理学,p.196-203,丸善出版,東京,2014
【要旨】
顔面神経麻痺(Bell麻痺)に対する指圧治療
石原博司 , 永井 努
顔面神経麻痺を発症し、全治3ヶ月と診断を受けた本症例(93歳 男性)では、指圧療法で、3週間で症状の改善が見られた。顔面神経麻痺は、原因が様々な要因が考えられ、まとまった治療方針が確立されていない。また統計的に発症年齢は40歳代がピークで、予後不良の要因の一つに高齢が挙げられている。この様に治療に関しては条件が厳しい中、症状に対する改善率、患者に対しての安全性が確認され、顔面神経麻痺の治療に対して、指圧療法が貢献出来る可能性が見られたので、その症例を報告する。
キーワード:指圧、顔面神経麻痺、Bell麻痺