鼡径部指圧による歩行能力への影響:小泉浩記

小泉浩記
日本指圧専門学校 
指導教員:金子泰隆
日本指圧専門学校専任教員, MTA指圧治療院 院長

Effects of Inguinal Region Shiatsu Treatment on the Ability to Walk

Hiroki Koizumi / Yasutaka Kaneko

 

Abstract : The effects of inguinal region shiatsu treatment on the ability to walk were verified using the timed up and go test (TUG). The post-treatment time was shorter than the pre-treatment time. This result suggests that shiatsu treatment may improve the ability to walk at least temporarily.

Keywords: Timed Up and Go Test, iliopsoas muscle, inguinal region, shiatsu


I.はじめに

 吉成圭らは鼠径部に対する指圧刺激による立位自動的体幹後屈における股関節伸展および腰椎後屈の可動域の拡大の可能性1)を報告しており、その理由として鼠径部への指圧刺激が腸腰筋の緊張を緩和し、それにより腰椎および股関節の可動域が拡大するためと考察している。しかし、ここではその機能的な変化については言及されていない。今回は比較的簡便であり、歩行能力評価法として信頼性が高いとされているTUGを用いて鼠径部指圧おける歩行能力の変化を観察した。TUGとは、1991年にPodsiadloらにより考案された2)、高齢者を対象に広く用いられている歩行能力の評価指標である。

Ⅱ.対象および方法

場所

 学校法人浪越学園 日本指圧専門学校8階教室

対象

 66歳男性(中枢神経疾患、骨折、筋断裂および変形性関節症などの下肢機能に影響があると思われる疾患の既往はない)

期間

 2015年9月4日、12日、19日、 10月3日(計4回、30日間)

刺激内容

 対象は仰臥位にて四肢をまっすぐに伸ばし、リラックスした状態をつくる。術者は上前腸骨棘の内下方より恥骨外方までの鼡径靭帯上に3点をとり、それを刺激部位とした3)。刺激は①掌圧(母指球による押圧)②術者の両手母指による指圧を1点あたりを約5秒とし、左右各5分ずつ連続して行った。押圧の強さは、刺激において術者の手掌および母指が皮膚および皮下組織に沈み込んだ際に、術者が鼡径靭帯と大腿動脈拍動を触知でき、かつ対象にとって心地良い程度とした。

評価

 TUGを用い、術前・術後の所要時間を比較した。肘掛けなしの椅子を用い、目印として前脚前端より正面前方3メートルの地点に赤色コーンの中心部を配置した。対象が掛け声に従い椅子から立ち上がり、目印を回って再び椅子に腰掛けるまでのタイムをストップウォッチを用いて測定した。一連の動作を刺激の直前および直後に①通常の歩行速度、②最大の歩行速度にて1回ずつ行いタイムを計測し、②最大努力の歩行速度でのタイムを計測値として採用した。

III.結果

 4回すべての刺激において、刺激前に対し刺激後のタイムの短縮がみられた。刺激前および刺激後のタイムにおいて、全期間を通してのタイムの短縮はみられなかった(表1、図1)

表1.TUGタイム(秒)表1.TUGタイム(秒)

vol4_05fig1図1.TUGタイムの変化

IV.考察

 腸腰筋は大腰筋と腸骨筋の2つの筋からなり、これらは骨盤腔内で合して腸腰筋となり、鼠径靭帯下の筋裂孔を通過して、大腿骨の小転子に停止する。鼠径部の指圧においては、鼠径靭帯を押圧の指標とし、上前腸骨棘内側から恥骨の外側にかけてを皮膚表面に対しほぼ垂直に押圧する。したがって、その押圧は腸腰筋に達すると考えられる。

 速度の緩やかな歩行においては、立脚終期の伸展した下肢を振り子のように前方に振り出すことで、腸腰筋を使わずとも足を前へと運ぶことができる。しかし、努力的な歩行において、腸腰筋は遊脚前期から中期にかけて強力に作用し、伸展した股関節を屈曲させ、より積極的に下肢を前方に振り出す4)。そしてAnderssonらの筋電計を用いた研究によれば、歩行におけるこれらの筋の影響は歩行の速度が速くなるほど大きくなる5)という。他にも歩行中の腰部の安定や、バランスを失った際の緊急的な姿勢制御などにおいても腸腰筋の能力は影響しうると想像される。

 衛藤は指圧刺激が筋出力調整力を向上する可能性6)を報告しており、その要因として、速動性および持続性NUMへの影響と局所血液量の増大のふたつの可能性をあげている。本研究における指圧後のタイム短縮もこれに似て、鼠径部の指圧刺激による腸腰筋の状態的な変化が努力的歩行におけるその機能性に影響し、結果として歩行速度は増加し、タイムが短縮したと考える。

 研究期間全体を通してのタイムの短縮が見られなかったことについては、腸腰筋単体の指圧刺激では、筋に対して起こした状態的変化を固定的なものにするには至らなかった為と考える。これがより長期的な変化となるには、大腿直筋や大腿筋膜張筋などの腸腰筋以外の股関節屈筋や、大殿筋やハムストリングスなどの拮抗筋の状態的変化と、それによる腰部および股関節の矢状方向のアライメントの変化が必要であると推測する。
今回は対照を設けなかった為、タイムの短縮に関しては被験者の学習効果の影響を除外できていない。指圧刺激単独の影響を検証するためにも対照を設けた実験手法を今後の検討課題としたい。

V.結論

 鼠径部への指圧により、刺激後TUGタイムが刺激前に比し短縮傾向であった。

VI.参考文献

1) 吉成圭 他:鼠径部指圧刺激が脊柱可動性に及ぼす効果,東洋療法学校協会学会誌32号,p.18-22,2008
2) D. Podsiadlo,S. Richardson:The timed “Up & Go”: a test of basic functional mobility for frail elderly persons,Journal of the American geriatrics Society, 39.2, p.142-148, 1991
3) 石塚寛 他:指圧療法学,国際医学出版株式会社,東京,p.102,2008
4) D. A. Neumann,嶋田智明,平田総一郎:筋骨格系のキネシオロジー医歯薬出版,東京,p.573-574,2005
5) E. A. ANDERSSON他:Intramusclar EMG from the hip flexor muscles during human locomotion, Acta Physiologica Scandinavica Vol. 161, Issue 3, p.361-370, 1997
6) 衛藤友親:指圧による底背屈力の変化について,日本指圧学会(2),p.10-12,2013


【要旨】

鼡径部指圧による歩行能力への影響
小泉 浩記/金子 泰隆

 鼠径部への指圧が歩行能力にどのような影響を及ぼすかを、Timed Up and Go test(TUG)を用いて調べた。指圧前と比較して、指圧後のタイムが減少傾向であった。この結果より指圧刺激が短期的に歩行能力を向上させる可能性が示唆される。

キーワード:五十肩、肩関節周囲炎、関節可動域、指圧