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オリエンタリズムから読む指圧研究の壁:衞藤 友親

衞藤 友親
明治大学体力トレーナー

本稿執筆のきっかけ

 2017年9月10日、株式会社読売巨人軍所属のS投手の当該シーズンにおける不調の原因が、同年2月27日に球団トレーナーによって施術された鍼治療が原因であるとされ、球団がS選手に謝罪したとの記事が報道された。1)

 これに対し、公益社団法人 全日本鍼灸学会、公益社団法人 日本鍼灸師会、日本伝統鍼灸学会、公益社団法人 日本あん摩マッサージ指圧師会、公益社団法人 全日本鍼灸マッサージ師会、社会福祉法人 日本盲人会連合、公益社団法人 全国病院理学療法協会、日本理療科教員連盟、公益社団法人 東洋療法学校協会は9月21日付で球団に対し連名で「はり治療を原因とした理由(因果関係)と他の原因を除外した理由」等を問う内容の質問状1)を送付。これに対し球団は11 月7日付の文書2)にて“(複数の)いずれの医師も、選手の症状等から長胸神経の不全麻痺であり、それに伴う前鋸筋の機能低下であるとの診断に変わりはないと話されています。また、発症時期や当該選手の問診等から、長胸神経の麻痺は、当球団のトレーナーが行った鍼治療が原因となった可能性が考えられると答えられました。ただし、鍼治療以外にも、強い力がかかる他の外的要因によって長胸神経の麻痺が生じた可能性もあるとの意見も出ました。”と回答した。回答書の後段には“当該選手の長胸神経麻痺はすでに回復しております。また、当該選手を施術したトレーナーは、現在も当球団のトレーナーとして勤務しています。当球団は鍼治療が有効であることを十分認識しており、現在も多くの選手やスタッフに対して鍼治療が行われています。今後も引き続き鍼治療を活用していく方針に変わりはありません。”1)とあり、玉虫色の回答で丸く収めたい意思が透けて見える内容であった。

 さらに同球団と鍼治療の関係をさかのぼって調べると、1987年にはE投手が引退会見にて「野球生命が絶たれることを覚悟で打ってはいけない右肩のツボに鍼を打ち続けた」と発言した事例が、1996年にはM投手が肺気胸で入院に至った原因が、球団トレーナーの施術する電気鍼だったとして球団が選手に謝罪した事例3)がある。

 指圧治療より科学的研究の進んでいる鍼灸治療であっても、西洋医学の医師(だけに限らないが)からは「不確かな治療」や「怪しい治療」であると認識されている感じが否めない。ましてや指圧をや、である。

 日本指圧学会設立以来、筆者は微力ながら指圧の科学的究明に尽力してきたつもりであるが、科学的究明を地道に続けたとしても越えられない壁のような存在も近頃感じ始めた。この壁について、西洋文化と東洋文化の差異について考察および問題提起されたサイードの著作『オリエンタリズム』と、日本におけるオリエンタリズムを参考にして、自然科学系とは異なった観点から考察することとした。尚、論を展開するにあたり既知の事象の透写に過ぎないと感ずる方があるかもしれないが、当たり前のことであっても改めて記録に残すことにより、新しい知見や共通認識が生まれることを期待して論ずることとする。

オリエンタリズム

 オリエンタリズムとは用語の用法や文脈によってニュアンスが異なる語である。エドワード・W・サイードが著書『オリエンタリズム』で指摘したのは、東洋の文化、風土、風習、政治などへの西洋人からの視点を批判的に捉えた批評ないし問題提起である。サイードの出自はパレスチナ系アメリカ人である。ひとつの文化圏のど真ん中で生活すると、他の文化圏との差異には気付きにくいものであると考える。例えば、ある島に生まれて一生を島で暮らす者はその地が「島」だとは気づかないはずである。別の島、あるいは大陸と比較して初めて「島」という概念が生まれる。

 和訳版巻末の杉田による論評4)でも触れられているが、サイードのように文化圏と文化圏の境界に生きる人物は、相互の文化的差異の中に生きるしかなかったため、意識的にその差異について批評可能であったのだと推察する。彼が採った手法は、西洋人の手によって記された小説などの膨大な文献中に見られる東洋に関する記述を収集し、その表現に於ける傾向を分析する方法であった。西洋諸国は近代以降その進んだ科学力、技術力を背景に植民地を拡大していった。その中で無意識に西洋文化>東洋文化の思想や図式が醸し出されていったのは想像に難くなく、実際に歴史が証明しているものと考える。彼の著述以前に用いられていたオリエンタリズムは、純粋に無批判に無意識に東洋文化を吸収または利用する立場であったと想像するが、サイードの指摘以降は東洋文化を西洋文化の優位的立場から見下そうとする差別的感性への批判的視点から不可避になったように思われる。

 よってこれらの前提を踏まえて本稿では広義のオリエンタリズムを、東洋文化への憧れや畏怖、と、東洋文化を言語化する過程で生じる差別や相対化、のどちらも含むものと解釈する立場を採ることとする。サイードの記述に於いても、ナポレオンによる『エジプト史』編纂をめぐる文脈の中で“近代ヨーロッパ科学の中に登場した新しいオリエントは(中略)「ヨーロッパ諸国民の風習との顕著な対比」を示す役割を担い、それによって東洋人の「奇妙な享楽性」が西洋の風習の生まじめさと合理性とをことさらきわ立たせることになる。” 5)などの箇所が見られる。

 先述のように、サイードの手法はすでに書き記された文献から西洋から東洋に対する視点を詳らかにするものであるが故に、西洋=書く人、東洋=書かれる人、の図式が固定化されてしまっている。これはもう一歩踏み込んで“ 東洋人は固定化された不動のもの、調査を必要とし、自己に関する知識すら必要とする人間として提示される。” 6)と表現されている。筆者はこの一文に触れ、西洋医学から見た東洋医学に対する見方や発言全般が集約されているように直感した。東洋医学は経験医学として固定化され、その作用機序の知識すら外部(西洋医学)から必要とする医療として提示される宿命である、と。

日本におけるオリエンタリズム

 訳者あとがき7)のなかで今沢は“ 主体=観る側としての西洋と客体=観られる側としての非西洋世界とが対立するオリエンタリズムの構図に対して、近代日本はきわめて特異な関わり方をしている” として評している。また“ 日本は西洋の東洋観をも摂取して、オリエンタリズムの主体=観る側に立ったのである。したがって西洋オリエンタリズムに向けられた批判は実は日本のオリエンタリズムに向けられた批判であると言うべきなのである” とも指摘している。また杉田8)は“「日本のオリエンタリズム」の問題は、日本と東アジア(とくに中国・朝鮮)との歴史的関係を辿るときにも同様に現れてくる” と述べている。また“ 日本と中東のあいだでは、さまざまのレヴェルで日本人の「オリエンタリズム」を問題にすることが可能” であるとし“ 商社マンのあいだでよく問題にされる「アラブのIBM」-イン・シャー・アッラー(神が望み給えば、多分)、ボクラ(明日にしよう)、マーレーシュ(気にするな)-というアラブ社会を揶揄した合言葉” を例に挙げている。

 この問題提起に対して、筆者にとって多少経験上の造詣が深い沖縄文化を当てはめて考えてみたい。観る側が非沖縄県在住者「大和人」(やまとんちゅ)若しくは「内地人」(ないちゃ)であり、観られる側が沖縄県在住者「沖縄人」(うちなんちゅ)という図式である。先のアラブのボクラ(明日にしよう)、マーレーシュ(気にするな)はそのまま沖縄人の「島時間」の概念及び「沖縄口」(うちなーぐち、沖縄方言)の「なんくるないさー」に置き換え可能である。我々大和人が沖縄人は時間にルーズであることを指して「島時間だから仕方がない」と発言するときには、軽い侮蔑の感情が入るのと同時に、時間に急かされないおおらかな雰囲気の中で仕事がしたい、という憧れにも似た感情を同時に抱いているのを完全には否定できない。この心的現象はあくまでもイメージであって、実際には多数の沖縄人が時間に正確である。そうでなければゆいレールや航空機の定時運行は不可能なはずである(関東圏の朝の電車の方が定時運行率は低いように思われる)。そもそも浦島太郎の竜宮城のように、大和人は海の向こうに時間の流れを超越したパラダイスがあるとのイメージを共有しているように感じる。沖縄はこのイメージを具現化するのに丁度良い地理的環境を有していると考える。もっともその沖縄においてもニライカナイ信仰という沖縄人共通のイメージが存在し、沖縄本島にとっての久高島や宮古島にとっての大神島は神事を行ういわゆる「神の島」としてそのイメージに近いのかもしれない。

 大和人が抱く憧憬が沖縄であり、沖縄が抱く憧憬がニライカナイであるとするならば、オリエンタリズムの持つ差別的視覚をも沖縄は持っていることになる。それが端的に現れているのが人類館事件だと考える。あらましは“1903年(明治36 年)3月、大阪で政府主催の第5回内国勧業博覧会が開かれた。会場周辺には営利目的の見せ物小屋が立ち並んだ。その一角に、「学術人類館」と称する施設がたてられ、アイヌ・台湾の先住民族・琉球人(2人の女性)・朝鮮人・中国人・インド人・ハワイ人などが「陳列」されて見せ物にされた。これに対し、韓国・中国の留学生から抗議の声があがり、『琉球新報』の太田朝敷も「隣国の体面をはずかしめるものである」として中止を求めた。しかし、太田は同時に「琉球人が生蕃(台湾先住民族)やアイヌと同一視され、劣等種族とみなされるのは侮辱」であると述べ、沖縄のゆがんだ日本への同化思想をあらわにした。沖縄からの抗議で、琉球女性の展示は取り止めになったが、他の民族の展覧は最後まで続いた。” 9)とのことである。大日本帝国への同化思想が背景にあったとは言え、沖縄人が台湾先住民やアイヌの人々を下に観ていた事実が浮かび上がってくる。観られる側がその不条理を訴えた事例が、サイードの指摘を待つまでもなく行われていたことになる。逆説的にサイードの問題提起が一般的、普遍的であることも示しているように思える。

 さらに狭小な例では、与那国島の民話「イヌガン」10)のなかにも、他の島(文化圏)への憧憬とも侮蔑とも読み取れる表現がある。要約すると、イヌガンとは与那国島内の地名であり、そこに久米島から漂着した女と犬が暮らしていた。そこへ小浜島から新たに漂着した釣り人が現れ、久米女の知らない所で犬を殺害し埋めてしまう。小浜男は小浜島に妻がありながらも久米女との間に子どもを作り与那国島にて暮らすが、ある日犬の埋葬場所を久米女に話すと、翌朝にはその場所で久米女が犬の骨を抱きながら死んでいた。久米女と小浜男の子どもたちが与那国島に村を作った。という話である。原罪の暗喩のようでもありながら、はっきりと久米島と小浜島と言った固有の島名が登場するのが印象的である。島の固有名詞の代わりに「ある島」などを当てても「くにはじめ」の物語としては成立しそうだが、与那国、久米、小浜の固有名詞がでてくるのは各島の間で起こった何らかのやりとりが元ネタになっているだろうということは想像に難くない。

 さらに卑近な例では、大阪は東京をライバル視するが東京は大阪をそもそもライバルとすら思っていない、とか、でもお笑いやユーモアのセンスは大阪の方が東京よりも上だ、など、罵り合いと称え合いの紙一重は各地で観られる現象であることが観察される。杉田11)は“ 安易な一般化と「上からの演繹」を戒めることが何より必要とされているのであり、一旦作られたレッテル(言説)がいかに強大な力を揮うようになるかという点にこそ,『オリエンタリズム』が、私たちに強く警告している問題の一つはあったのである。” と述べている。

 このようにある文化圏からある文化圏への憧れや侮蔑は、その文化圏の広狭や構成人員の多寡にかかわらず存在する、或いは存在せざるを得ない。これは人間の本能のようなものであると筆者は考える。

東洋医学を取り巻くオリエンタリズム

 西洋医学は文字通り、数値化、言語化、統計と実証の科学的な西洋文化を体現している、日本における非西洋医学はそれこそ沖縄の島々のように様々な療法が存在し、雑多でありながらも西洋側からある種のイメージの固定化を許している。さらに各療法間には憧憬や侮蔑が入り混じったマウンティングにも似た観念や言動が半ば本能的に存在する。資格の有無、エビデンスの有無を問わず、である。

 ここまで考察してきたように、西洋医学から東洋医学への眼差しには、実際の厳密な科学的検証とは別系統として、臆見や観念が先行する形での「上からの演繹」が無意識的に含まれてしまう。この感覚こそが東洋医学をいつまでも胡散臭さの檻に閉じ込めている正体のように思われる。西洋医学を修めた医師が、S投手の不調の原因を東洋療法(のせい)に求める図式が世間に違和感なく受け入れられてしまう主因はここにあると考える。対象を数値化、言語化する西洋発祥の科学的作法に従って東洋医学を研究したところで、西洋によって東洋に貼られたレッテルがある限りは胡散臭さがつきまとってしまうのではなかろうか。

 またさらに、オリエンタリズムを踏まえても踏まえなくても、東洋人が西洋人を相手に東洋らしさをセールスポイントに掲げる事例が存在することにより、問題を一層複雑化せしめている。青木12)は“ オリエンタリズムは西欧の「偏見」にはちがいないとしても、アジアもまたその形成に協力したといってもよい。フジヤマ、ゲイシャもまた然り、異文化をめぐるイメージの売りと買いとの競合が、常に異国情緒を創り出してきた。” と述べている。これはかなり突き刺さる指摘に感じる。東洋医学はそもそも意識的に「東洋の神秘」「得体の知れなさ」を売り文句にしているのではないのか?と筆者には読み取れてしまうのである。二度目の東京オリンピックに向けた胎動を感じる今般、確かに例えばインバウンド客層対策として東洋の神秘をキャッチコピーに掲げたジャパニーズ・ヒーリングとしての指圧を売り出せばまあまあ人気にはなりそうだが、やはりどこか腑に落ちない気分も残るだろう。指圧の科学的探究の壁は自己の中にも存在し得る、ということである。

レッテルは剥がせるのか?

 結論から申せば「剥がせない」と考える。いままで見てきたように、相対する文化自身の中にも相対する文化があり、箱根細工の入れ子のような構造が観察できる。最終的には文化圏を構成する集団の最小単位である個人の中にもアンビバレントな感情や逆にレッテルを利用してやろうとする計算が働く心理が読み取れる。このことから「上からの演繹」によるレッテル貼りは人間の本能のようなものであり、貼ってしまう思考自体については禁じない方がスマートな態度であるように思える。その思考を隠蔽しない分むしろ自然で欺瞞的な態度に陥らなくて済むような気がしてならないからである。思考実験として人間を原始状況に巻き戻して推察すると、風上、風下や川上、川下などを感覚から読み取る能力を人間は獲得していて、その拡大的応用として文化の優劣をも直感する能力があり、生存上優位に立ち続けるための情報を欲するからこそ常に「観る側= 上位」にいたいのではないだろうかと考える。

 しかし、この仮説が正しいとしても、今回のように既存のレッテルを利用するような形で身体の不調、障害の精確な検証をすることなく世間に公表してしまうことは避けなければならない。少なからず風評を含む実害を被る人や傷つく人を生み、異文化間の対立の先鋭化を招いてしまうからである。

 では、この難問にどう対処すればよいのか。

 サイードの『オリエンタリズム』発表から四十余年、沖縄の本土復帰から四十余年、この間に世界の情報伝達技術は発達、さらにまた広く普及し、異文化間の情報交換の頻度は飛躍的に増大した。この恩恵にあずかり、いまやインターネットに接続した大画面を通して異国の路地や市場の風景および動画を再生し、世界旅行の疑似体験が居室にて可能となっている。また歴史上の各文化圏の資料などが偏見や臆見なしに直接閲覧できるようにもなった。これらにより、西洋による東洋への「気づき」の深化、高度化も起こっているように思われる。東洋医学における好例がキーオンによるファッシア論13)ではないだろうか。東洋医学的には既知であった心包や三焦を結合組織や発生学の観点から検証しているこの論理については、科学的であるがゆえに論理の精確性についてはこれからさらに検証されていく必要性を感じるが、キーオン曰く“ 経絡や「氣」を現代の言葉で通訳したにすぎない” のだそうである。一見すると『オリエンタリズム』の西洋による記名の延長にも思えるが、訳したにすぎないという謙虚な言葉を純粋に信じて論の再検証と強化の経緯を見守りたい。

 そして西洋医学側からの批判的でない友和的なアプローチを、我々東洋医学側は黙って待っている訳にはいかない。訳されるべき時に向けて準備することが山のようにあるはずである。西洋の科学の作法に則った研究を深化していくことは、先に挙げた意識的な東洋らしさをセールスポイントにしている者からは理解が得られないかもしれない。しかし情報化社会が高度に深化進行すれば、文化圏間の相対化がさらに加速し、観る側と観られる側、表記する側と表記される側は日々刻々と逆転を繰り返していく可能性が否めない。すでにSNSなどで「言った者勝ち」のような状況が散見される。ある事象に対してある人が「こうだ!」と言い、その言説のみが正義、真理として通用してしまうとその事象に対しては誰も反論ができなくなってしまう。一方、エビデンスに裏付けられた事象は、報告された手順に従いさえすれば誰もが等しく再検証や反証が可能である。例え同一の結果が得られなかったとしても、その検証を次の再々検証に繋げていくことができる。この一連の流れを通じることによって多くの合意の形成や相互理解を生むのである。エビデンスなき放言ではこの流れを生むことはできない。異なる文化圏間または異なる手技療法間で共通認識を醸成する妥当な方法が科学的手法だとすれば、一見国家資格の有無は問われないようにも取れる。しかし、一定の治療実績および科学的証明による知の集積、エビデンスがあるからこその国家資格とも言える。無資格の手技療法はエビデンスを示して国家による承認を得るように活動すべきである。また、有資格の手技であってもエビデンスの集積に努めるべきであると考える。

 東西文化圏の分け隔てなく、さらに小さい各文化圏も差別なく、良いところを集積し悪いところを淘汰したようなコスモポリタニズム文化圏のようなものが確立されれば本能的な「上からの演繹」のような差別的記名および思考は、無くならずとも先鋭的意識を持たずに済むところまでは行けるように考える。

 壁は乗り越えなくとも自然と消えてくれるのが一番平和なのではなかろうか。

おわりに

 異なる文化間の差異を観察する時、無意識に優劣の偏見で観てしまう。この先も西洋医学側から東洋医学側に対しての偏見に起因するトラブルが想定される。しかし、相手の文化へのリスペクト精神に基づき、異文化同士相互の共通認識の了解方法から確認する丁寧な対処を心がければ、差異をフラットに捉えようとする方法を模索し得る。避けるべきは真正面から反論する方法で、新たなマウンティングを生じさせることである。合意に基づく共通の方法(科学的手法)を用いて検証、再検証に耐える立証を通じながらより広く新たな合意形成を目指していく包括的な動きが合理的で経済的なのではないかと考える。

 都合の良い抗弁の隠れ蓑に東洋医学を使われないように、多くの人が検証、立証に参加し平等に議論できる土台づくりを進めなければならない。

参考文献

1)【緊急報告】読売巨人軍・澤村投手への施術報道の検証,医道の日本 第76 巻 第11 号(通巻890号),p.27-32,2017
2)鍼灸団体, 沢村のはり施術ミス疑いで巨人回答書公開, 日刊スポーツ2017年11月9日
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201711090000537.html
3)巨人・澤村の鍼トラブル 被害者なのに同情されない理由, 週刊ポスト2017年9月29日号
https://www.news-postseven.com/archives/20170918_613856.html
4)エドワード・W・サイード著,板垣雄三・杉田英明監修,今沢紀子訳:オリエンタリズム(下)第1版18刷,平凡社,東京,p.345,1993
5)エドワード・W・サイード著,板垣雄三・杉田英明監修,今沢紀子訳:オリエンタリズム(上)第1版26刷,平凡社,東京,p.203,1993
6)エドワード・W・サイード著,板垣雄三・杉田英明監修,今沢紀子訳:前掲註4),p.244
7)エドワード・W・サイード著,板垣雄三・杉田英明監修,今沢紀子訳:前掲註4),p.393
8)エドワード・W・サイード著,板垣雄三・杉田英明監修,今沢紀子訳:前掲註4),p.364
9)新庄俊昭:教養講座 琉球・沖縄史,東洋企画,沖縄,p.267,2014
10)池間榮三:与那国の歴史 第7 版,琉球新報社,沖縄,p.70,1999
11)エドワード・W・サイード著,板垣雄三・杉田英明監修,今沢紀子訳:前掲註4),p.369
12)青木保:逆光のオリエンタリズム 第1 版2 刷,岩波書店,東京,p.3-4,1998
13)【 巻頭企画】筋膜と発生学の新知識でわかった! 経絡経穴ファッシア論―鍼灸はなぜ効くのか―,医道の日本 第77 巻 第6 号(通巻897 号);p.29-35,2018


ウマ指圧余談~腹部指圧に関する汎動物学的考察~:衞藤 友親

衞藤 友親
明治大学体力トレーナー

はじめに

 腹部への指圧は前頸部への指圧と並び、浪越式基本指圧の特徴的施術部位と認識されることがあります。腹部指圧は様々な症状に対して高い治療効果を導く施術部位であることが経験論的に知られ、その生理機序に関する科学的研究も進められていますが、その道のりはまだまだ途上であると思います。

 科学的研究は私たちの目指すべき「根拠に基づいた医療」の軸のひとつでもあります。論文を記すにはまず疑問点に着目し、実験スタイルをデザインし、被検者を募り、計測環境に気を配り、結果を統計処理し考察をまとめなければなりません。それはかなりの労力を要するものでありますが、その困難を乗り越えてこそより精度の高い「根拠に基づいた医療」に近づくものだと考えております。

 しかしながら他方、実験や臨床の事例に分類できない事象であっても指圧の科学的考察の補強に寄与し得る可能性も否定できません。科学的議論のきっかけになることも期待しつつ、腹部指圧が誘発する生理機序について汎動物学的観点から考察したいと思います。この方法は科学的根拠を踏まえた方法とは言い難いので、指圧研究のフィールドワーク的手法も模索しつつ随筆として記述します。

対象観察までの背景

 私は年間約40鞍程度ウエスタンスタイルで騎乗する乗馬愛好者です。以前、ウマを対象として前頚部指圧の研究1)をしました。研究では普段からよく利用する御殿場市と山中湖村にある乗馬クラブのウマたちを対象としました。ウマにもイヌのように様々な種類があり、主に乗用とされるのはアラブ、クォーター、アパルーサ、ミックスなどです。

 他方、それら一般的な乗用馬とは別に、古来より日本国内で農耕や戦闘や運搬等に用いられていた種類もいます。これらいわゆる在来馬は現在よく目にする馬種より小型で、性格も温厚であるとされています。しかし明治期には富国強兵政策の一環である馬匹改良計画の下に、在来馬と大型種の交配が奨励されました。その結果、在来馬は政策の行き渡らなかった半島の先端や離島など全国に8種を残すのみとなりました。更に時代が下り、今や農耕や運搬も機械化され、在来馬の役割も乗用やホースセラピーなどに限定されています。故に頭数の維持が課題となっています。

 沖縄県には島が多いので、前述の理由により宮古馬と与那国馬と言う在来馬が生息しています。特に与那国馬は一般社団法人ヨナグニウマ保護活用協会の活動により積極的な利活用の道が模索されています。

 与那国島では南国の気候を活かして、騎乗したままウマと一緒に海に入っての常歩(なみあし)や速歩(はやあし)を体験できます。また騎乗だけでなく尻尾につかまって泳いだり、海水で馬体を洗ったりマッサージしたり、砂浴びをさせたりすることもプログラムに含まれ、それらを「海馬(うみうま)遊び」と呼んでいます。

図1 地上での与那国馬の腹部
図1 地上での与那国馬の腹部

図2 海中での与那国馬の腹部
図2 海中での与那国馬の腹部

状況

 2015年9月、乗馬愛好者としてかねてより興味のあった海馬遊びを与那国島ナーマ浜にて体験する機会を得ました。ウマとふれあい、馬体を洗い、マッサージをしたその時、馬体の腹部の形状の違いに気付きました。ウマはイヌやネコに比べれば身近な動物ではないので、ウマの腹部に触れる機会は滅多に無いと思いますが、普通に乗馬を楽しむ場合でもブラシをかける時に腹部に触れます。まして筆者の場合、基本的に騎乗後にはウマに指圧とマッサージを施すので、ウマの腹部には日常的に触れ慣れていました。故に海馬遊びの時のウマの腹部の形状には驚きました。ウマが仰臥位で腹部指圧を受けたならば、まさにこの形状になるだろうな、と直感しました。

 与那国馬は体高(地上から肩の一番高いところ、およそ第2~4胸椎棘突起付近までの高さ)が110~120cmと他種に比べて低く、海中に四肢が浸かった状態でも腹部に触れるのは容易でした。常態が四足歩行のウマの内臓は、前肢と後肢の間にぶら下がっている状態で存在し機能しています(図1)。四足歩行の動物が体側(胴体)の下から3分の2くらいまで水に浸かった場合、浮力により内臓全般が脊柱側(上方)に押し上げられることにより、陸上では触知困難な肋骨弓が触知可能となります(図2)。この、腹部に圧力(浮力)が与えられた状態の与那国馬の腰背部脊柱両側に指圧を施したところ鼻孔が水面に浸かるほどに頭を下げる様子が観察されました(図3)。

図3 海中にて指圧中の筆者と与那国馬
図3 海中にて指圧中の筆者と与那国馬

考察

 旅行中の体験だったので、残念ながら心拍計等による計測はできませんでした。しかし、指圧を施された与那国馬が鼻孔を水面に浸けても平気なくらいに頭を垂れていることから、おそらく呼吸数が減少していることが推察されます。指圧をしなかった他の個体にはこの様な姿は見られなかったので、四肢および腹部を海水に浸しただけでは観察されない反応だと考えます。野生動物において腹部の圧迫は溺死の危険もしくは仰臥で被食者としての状況など、生命の危機を意味するものと考えます。

 水圧・水温・刺激部位・種別など相違点は多々あるものの、ヒトにおいても水に顔を浸けると心拍数が減少する潜水反射2)があることが知られています。呼吸数の減少は防衛反応の一種とも考えられます。ヒトの腹部への指圧では心拍数の低下4)、血圧の低下5)、立位体前屈の改善6)、胃の蠕動運動の増大7)、瞳孔直径の縮小8)などが報告されています。呼吸数の直接計測の報告はありませんが、心拍数の低下から呼吸数の低下が類推されます。少々強引ではありますが、ヒトとウマは腹部指圧によって同じような生理反応が起こる可能性があり、ウマの前頚部に指圧を施した研究3)を補強するかもしれません。更に、前頚部に始まり腹部に終わる浪越式基本指圧の施術順序の合理的説明のヒントとなるかもしれません。

 また、ヒトでは胃の蠕動運動に関しては前頚部への指圧では増大せず9)、瞳孔直径は前頚部への指圧中ではなく直後から縮小する10)ことも報告されています。

 ヒトも動物の一種である以上、千変万化する自然環境に適応しながら生活してきたことは想像に難くありません。生命の危機に瀕した場合に、より高確率での生命維持メカニズムを発動した個体たちの末裔が現在のヒトであるとも言えます。そこで培われたメカニズムのひとつ又はいくつかの複合体が現在「自然治癒力」と呼ばれている能力なのではないかと考えます。前頚部の指圧で惹起されない反応が腹部では観察されたり、前頚部のみでも腹部のみでも同様の反応が観察されるものの、発現までに時間差があったりと、何万年もかけて編み出されたであろうメカニズムを理解するには、より多方面からの切り口が必要な気がします。また、なぜ指圧がそれらの自然治癒力発動のスイッチと成り得るのかを解明していくにはまだまだ時間がかかりそうです。

おわりに

 今後も指圧に対する「なぜ?」を日常的に心に抱きながら、多方面の方々の協力に感謝して研究を続けていきたいと思います。

参考文献

1)衞藤友親:ウマを対象とした前頚部指圧による心拍数の変化,日本指圧学会誌(3);p.16-19,2014
2)山本義春:脳と心―水中と陸上でのヒト―.http://www.p.u-tokyo.ac.jp/~yamamoto/jres_12/jres_12.html
3)衞藤友親 他:前頚部指圧による呼吸商の変化,日本指圧学会誌(1);p.11-13,2012
4)小谷田作夫 他:指圧刺激による心循環系に及ぼす効果について,東洋療法学校協会学会誌22号;p.40-45,1998
5)井出ゆかり 他:血圧に及ぼす指圧刺激の効果,東洋療法学校協会学会誌23号;p.77-82,1999
6)宮地愛美 他:腹部指圧刺激による脊柱の可動性に対する効果,東洋療法学校協会学会誌29号;p.60-64,2005
7)黒澤一弘 他:腹部指圧刺激による胃電図の変化,東洋療法学校協会学会誌31号;p.55-58,2007
8)栗原耕二朗 他:腹部の指圧刺激が瞳孔直径に及ぼす効果,東洋療法学校協会学会誌34号;p.129-132,2010
9)加藤良 他:前頚部指圧が自律神経機能に及ぼす効果,東洋療法学校協会学会誌32号;p.75-79,2008
10)横田真弥 他:前頚部・下腿外側部の指圧刺激が瞳孔直径に及ぼす効果,東洋療法学校協会学会誌35号;p.77-80,2011


ウマ指圧余談
~腹部指圧に関する汎動物学的考察~
衞藤 友親


Essay Pressing to Save a Life
— An emergency medical encounter by a shiatsu therapist —

Tomochika Eto
Fitness trainer, Meiji University

1.Introduction

Sports trainer is listed on the Japan Shiatsu College website as a possible career path for graduates of the college.

 In my case, though what I do may be slightly different than what most people imagine when they think of a sports trainer, I do make my living as a trainer of sorts. In 2001 I was working as a supervisor of teaching assistance operations for physical education, and I entered the Japan Shiatsu College with the objective of developing a more rounded program (and also hoping I may be able to set up a clinic at the university). After graduating and obtaining certification, I continued mainly to supervise teaching assistance operations at the university. My duties included implementing fitness testing, results aggregation, resolution, and interpretation, training supervision, explanation of equipment usage, and so on. It may seem as if I was not making use of my shiatsu skills, but there was a time when I was not so busy with my work at the university that I practiced home care shiatsu after finishing work at the university. I also employed shiatsu on various student athletes to help them with shoulder and back problems.

 Here I would like to report on an incident that occurred during those everyday activities in which the physical skills and knowledge I acquired through my training in shiatsu pressure application helped in an emergency lifesaving situation. Normally life is uneventful and we have few encounters with people in a life and death situation, but I hope that my experience will be instructive for anyone who should find themselves in such a situation.

2.Circumstances of the incident

 The incident occurred one day in October 2012 in a class that began at four in the afternoon. That day I was performing support work as usual, dividing the students into several groups to measure side-to-side jumping. Side-to-side jumping is an agility test which measures how many times the subject is able to jump over or onto three lines drawn one meter apart in 20 seconds.

 Just as the buzzer on the timer sounded to signify the end of the test, one of the students collapsed. Since he had been stepping energetically until immediately before falling, his momentum caused him to fall flat on the floor without breaking his fall, as if a switch had been turned off inside him. I was standing behind the students operating the timer. As I watched the student fall, seemingly in slow motion, I recalled how once before a student had collapsed due to an epileptic fit. I approached the student expecting to find similar symptoms. Even if he had lost consciousness, I thought it would have been from the fall. This hypothesis proved to be way off the mark, but it may have been why I was able to deal with the situation so calmly.

3.Student’s symptoms and my mental state during rescue

 The student did not respond to verbal cues and his limbs were like rubber. During the course of examining his condition I happened to check his radial pulse.

 One would expect a shiatsu therapist to have sensitive fingertips and be adept at palpation and pulse taking. I assessed that the pulse of the student in question was shallow, rapid, and weak. Rationally I knew that he did ‘have a pulse’, but the strange sensation conveyed to me through my fingers prompted me to take the following actions.

 We are trained that when a patient’s heart stops we should immediately call 119 emergency services and have someone bring an AED (Automated External Defibrillator), but in this case I was doubtful and asked fellow trainer ‘A’ to bring the AED without asking him to call 119. Instead of barking out the order as we were taught during training, I asked casually, saying something like “Anyway, maybe you’d better get the AED.” Fortunately another trainer ‘B’ had just come on shift and, having heard the word “AED”, grasped the situation immediately and rushed off to get the device. Even more helpful was the fact that, without my directly instructing him (I forgot to), he took in upon himself to call 119.

 As I awaited the arrival of the AED I observed the student carefully, thinking rationally on the one hand that he did ‘have a pulse’, but worried by the abnormal sensations conveyed to me through my fingertips. I was convinced that, logically, all we had to do was attach the AED and the voice message would confirm that there was nothing wrong. But the student’s complexion began to turn blue and I could feel his pulse gradually weaken. Whether it turned out to be a case of mere fainting or a serious case of cardiac arrest, I decided to play it safe and began performing cardiac massage. Having learned in class that, when chest compressions are performed properly, cardiac output is approx. 20 cc, I semiconsciously performed chest compressions with weak pressure that would produce less than 20 cc output. Reflecting on it later, I think the pressure reflected my mental state of wanting to ensure oxygenated blood reached the brain and heart, without risking any damage to the sternum, ribs, heart, or other organs.

 Eventually the AED arrived. The two of us applied the electrode pads together without regard to our training or the steps laid out in the manual and the automated analysis began. I awaited the ‘No shock required’ message, convinced even at this stage that it was just a case of fainting. I prayed for that message, which would mean that both the student and those of us performing the first aid could return to our peaceful routine.

 However, the message that came from the AED was the one I had heard in training: “Shock required.” When I heard that message a switch turned on inside me, a little too late perhaps, realizing that whatever happened we needed to save this student! From that point on, we made a point of following the manual and acting according to our training. Following the electric shock, we performed artificial respiration combined with chest compressions consisting of vertical compressions at least 5 cm deep at a rate of 120 per minute. After one or two minutes of that, a reaction something like agonal respiration occurred. Judging that it was agonal respiration, we continued chest compressions and artificial respiration until we decided that he was returning to normal breathing, at which point we placed him in the recovery position.

 After repositioning him, I continued to yell in his ear to hang in there and keep breathing, as they say that if you call someone as they are passing through death’s door, they will return to the land of the living.

4.Arrival of emergency rescue and transfer to hospital

 Coordination between the trainer who called 119, the athletics office, and the security station went smoothly, and I remember that the emergency rescue team arrived within seven minutes after the student had collapsed.

 Two rescue teams of three members each showed up. I don’t remember clearly whether the first team requested the second team or not. I explained the situation and the use of the AED to one of the paramedics while watching the activities of the first rescue team out of the corner of my eye. When the second rescue team began administering oxygen the student began to speak incoherently and it seemed like he was out of danger. But he was taken to the hospital before fully regaining consciousness.

 Just under 20 minutes passed from the time the incident occurred to the time the ambulance left. During that time, the teacher in charge of the class took care of the other students and accompanied the student who had collapsed. The other two trainers and I did what was necessary to restore the training area to normal operating conditions.

 While continuing normal open operations, we waited for the hospital where the student had been taken to contact us. This being the first time in my life I had ever performed CPR, I was relieved that the person had been resuscitated. However, looking back calmly on the incident once I had regained my composure, I began to worry: Was the pressure sufficient when I just used one hand? Did I wait too long before beginning chest compressions? And so on.

 Around 90 minutes after the incident occurred, we received a phone call from the teacher who had accompanied the student, saying that he had regained consciousness and was able to hold a simple conversation. I experienced the greatest sense of relief I had had since passing the national exams. Having received notification that the student regained consciousness, I returned home more than two hours later than usual.

5.Further developments

 Apparently, the hospital analyzed the data from the AED we had used. The manufacturer also inspected the battery and the unit was returned to us six days after the incident. As things continued to return to normal, I wondered what had become of the student and what had caused the problem. To counter my unease, I spent my days reading accounts of AEDs saving lives and surfing the Internet in search of information.

 Near the end of November, 50 days after the incident occurred, the student who had collapsed came to see me. When the incident occurred he had been exercising so of course was wearing gym clothes, so when he appeared before me smartly dressed in street clothes I at first didn’t recognize him. We spoke for just under half an hour, during which time he explained in detail how he only vaguely recalled the events surrounding the incident, how his release from hospital had been delayed for further testing and he had been transferred to another hospital, and that the cause had been due to a genetic disorder of which he had been unaware.

 I felt fortunate to have the opportunity to talk to him, considering that if I had saved the life of a passerby on the street they probably would not have paid me a visit to fill me in on all the details.

 He told me that he would be able to return to student life, and I conveyed the news to all related parties. I received a letter of appreciation from the fire marshal at the end of December, 70 days after the incident occurred, and one from the university president 20 days after that at the beginning of January. With this, I felt that in my heart that I had achieved closure.

6.Further ruminations and my perspective as a shiatsu therapist

 In Japan, the general public was first authorized to operate AEDs in July 2004. I received my anma, massage, and shiatsu certification in April of that year. Two years later, in June 2006, I took a course in standard first aid in Hiratsuka, where I was living at the time. I wasn’t really aware of it then, but at the time I took that first aid course it was still comparatively soon after AEDs had been authorized for general use. What I remember from the practical class was that the firefighter teaching the class thought highly of chest compressions. I still clearly remember mentioning while chatting to him during a break, “I’m a shiatsu therapist, so I have a good feel for performing perpendicular compressions.” In shiatsu terms, you might say that, while supporting the weight of you lower body with your knees, you apply hand-on-hand pressure with elbows extended, skillfully applying upper bodyweight to exert rhythmical pressure. Also, to push the comparison farther (perhaps too far?) you could say that the hand-on-hand pressure applied to the sternum using the heel of the palm is like fluid pressure, but without the flow.

 For manual therapists, touching other people’s bodies is a major premise of their work. Speaking subjectively, I feel that among manual therapists, shiatsu therapists are probably the most sensitive to the notion of perpendicular pressure. With the chest compressions of CPR, while one must press perpendicularly in order to ensure effective delivery of oxygen (blood), at the same time there is a risk of damaging the ribs and sternum. I was glad I had learned about and acquired the skills of ‘perpendicular compression’ at the time, and especially now that I have used it to actually save a person.

 As I mentioned earlier, I think shiatsu therapists also have good pulse palpation skills. In basic shiatsu, when one treats the axillary region, one palpates the radial pulse to determine if you are pressing on the right point. In the process of repeating this over and over, the various pulse feels of many different people accumulate in your fingertips like a medical chart. This may be why I was able to recognize the student’s irregular pulse.

 I realize that most shiatsu therapists are very busy with their day-to-day responsibilities, but I strongly recommend that everyone make the time to take a first aid course offered by the Red Cross or you local fire department. While the chances of being involved in a medical emergency are slim, proper training will not only help you handle the situation calmly, but will also provide an ideal opportunity to apply your skills as a shiatsu therapist.

 By the way, the feeling of practicing chest compressions on the doll used in the course is surprisingly similar to the feel of performing it on an actual person’s chest. I would like to express my respect and gratitude to the person who developed it.

7.Conclusion

 One year after the incident, I took a first aid course for the third time in my life. It’s certainly not because I was full of myself for having saved someone, but the instructor informed me that I was applying the electrode pads in the wrong position. I realized that, whether first aid or shiatsu, one needs to study every day to maintain one’s skills.

 It is not unimaginable that the skills one develops as a shiatsu therapist while coming into contact with people both spiritually and physically can be applied in a variety of situations, from nursing to childcare. It will make an interesting topic for further study.


References 

1. Ishizuka H: Shiatsu ryohogaku, first revised edition. International Medical Publishers, Ltd., 2008 (in Japanese)
2. Shimazaki S, editorial supervision; Tanaka H, editor: AED machikado no kiseki. Diamondo Bijinesu kikaku, 2010 (in Japanese)
3. Japanese Red Cross Society, editors: Sekijuji kyukyuho kiso koshu. Nisseki sabisu, 2012 (in Japanese)


随筆:いのちを救う押圧~指圧師が遭遇した救急救命の現場~:衞藤友親

1.はじめに

日本指圧専門学校のホームページに、卒業後の進路のひとつとしてスポーツトレーナーが紹介されています。

 私の場合は一般的にイメージされるスポーツトレーナーとは若干ニュアンスが異なりますが、一応トレーナーのはしくれとして生計を立てております。平成13年当時、すでにトレーナーとして体育実技の授業補助業務を担当していた私は、業務内容を充実すべく(そしてあわよくば学内で開業できないかとたくらみつつ)日本指圧専門学校に入学しました。卒業および資格取得後も学内の体育館にて授業補助を主とした業務を担当しています。業務内容は、体力測定の実施、結果集計、還元、解説、トレーニング指導、器具の使用法説明など様々です。指圧の技術が活きていないようにも見えますが、大学の仕事が今ほど忙しくなかった時には業務終了後に訪問治療を行っていたこともありました。また、各運動部の学生を対象に肩や腰の調子を指圧で整えたりもしています。

 そのような日々を過ごす中で、押圧操作を修練することで獲得した身体動作および知識が人命救助に繋がった事故の例を報告いたします。命の危機に瀕している人にそもそも遭遇しないことが平穏無事な人生ではありますが、万が一の事態に居合わせた時の参考にでもして頂ければ幸いです。

2.事故発生状況

 平成25年10月某日、16時過ぎからの授業に於いてある事故が発生しました。その日もごく普通に体力測定の授業補助業務を遂行し、受講者を数班に分けて反復横跳びの計測をしていました。反復横跳びは、1メートル間隔で引かれた3本のラインを20秒間で何回踏み越すもしくは踏むことができるかを計測する敏捷性のテストです。

 試技終了を告げる電子タイマーのブザー音と同時に学生がひとり倒れました。直前まで元気にステップしていたので、その勢いのまま受け身もとらず、まるで急に電源が切れたかのように身体が床に打ちつけられました。私は学生の後方に位置しタイマーの操作をしていました。(主観ではスローモーションのように)倒れていく学生を見ながら、過去に授業中にてんかん発作によって転倒した学生のことを思い出しました。今回もきっとそのような症状だろうと見込みながらその学生に近づきました。万が一気を失っていたとしても、転倒の衝撃によるものだろうとも見込みながら。この想定が結局は大はずれだったのですが、結果的には落ち着いて対処できる要因にも繋がったとも思えます。

3.当該学生の症状と救助時の心境

 呼びかけても返事をしないし、四肢は泥酔時のようにぐったりとしている。様子を観察すると同時並行の自然な流れで橈骨動脈を触診していました。
指圧師は指先の感覚が鋭敏であると思っています。また、人様の身体に触れ、脈をとるスキルにも長けていると思います。当該学生の脈は浅く速く弱く、理性では「脈あり」と判断していましたが、指先から伝わる違和感に突き動かされるように次の行動を起こしていました。

 訓練では心停止している患者に対してはすぐさま119番通報とAED(Automated External Defibrillator自動体外式除細動器)の手配を依頼するのですが、この時の私は半信半疑で、同僚のトレーナーA氏に対して119番通報ではなくAEDを持ってくるように指示を出しました。指示の出し方も訓練時の叫ぶような口調ではなく、「とりあえずAED持って来ましょうか?」的なのんきなものでした。幸いだったのは、たまたまシフトの都合でもう1名いた別のトレーナーB氏が「AED」の単語だけですべてを理解し迅速に行動して頂けたことです。結果的には直接指示を出していない(出し忘れた)119番通報までして頂けたので非常に助かりました。

 理性では「脈あり」、指先では「異常」を感じたままAEDの到着を待ち、当該学生を注意深く観察しました。理性では「AEDを装着しさえすれば、異常なしの音声が流れるはずだ」と固く信じていました。しかし、当該学生の顔色は徐々に蒼白となり、脈も徐々に弱まっていくように感じられました。単なる気絶でも重篤な心停止でもどちらに転んでもいいように、とりあえず片手での胸骨圧迫(心臓マッサージ)を開始しました。以前に講習にて、胸骨圧迫を正確に行った場合の心拍出量は約20ccであることを学んでいたので、およそ20cc以下程度の弱い押圧で胸骨圧迫をやってみようと半ば無意識に手が動いていました。あとから冷静に考察すると、胸骨、肋骨、心臓その他臓器を極力傷つけずに血中の酸素だけを脳と心臓に送りたかった心境が投影されての圧だったと思います。

 やがてAEDが到着し、訓練やマニュアルの手順とは異なり二人で手分けして電極パッドを装着し、自動解析がはじまりました。単なる失神であるとこの期に及んでも強く信じていたのでただひたすら「ショックの必要はありません」の音声を待ちました。そう告げてくれれば救助している我々にとっても当該学生にとっても平穏な日常が戻って来る、と祈りながら。

 ところがAEDからの音声指示は、訓練で聞きなれた「電気ショックが必要です」でした。その音声を聞いて、遅ればせながらこの時はじめて「絶対にこの学生を助けなければならない!」という強い意志へスイッチが切り替わりました。そこからはマニュアルに従い訓練通りの動きを意識的に行いました。電気ショックの後、最低5cm毎分120回のリズムで垂直に押す胸骨圧迫と人口呼吸を併用しました。その処置が1~2分経過したころ、死戦期呼吸のような反応がみられました。一応死戦期呼吸と判断して胸骨圧迫と人口呼吸を続け、正常な呼吸に近づきつつあると判断した時点で回復体位に体位変換しました。

 体位変換後も、俗に「三途の川を渡りかけている時は呼べばこちらの世界に返って来る」と言いますが、当該学生の耳元で頑張れとか呼吸しろとか、叫ぶように励まし続けていました。

4.救急隊到着から搬送

 119番通報をお願いしたトレーナーと体育事務室および守衛所の連携が円滑に行われ、救急隊が到着したのは学生が倒れてから7分以内であったのを覚えています。

 救急隊は3名ずつ都合2隊到着しました。先発隊の判断から後発隊が要請されたのか否かは明瞭には覚えていません。先発隊の処置を横目に見ながら、AEDの使用や状況の詳細を隊員に説明しました。後発隊の酸素吸入が開始されると、当該学生が不明瞭ながら声を発するようになり、状況からとりあえず危機的事態は脱したように感じ取れました。しかし、現場で当該学生の意識がしっかりと戻るのは確認できぬまま搬送されました。

 事故発生から搬送までの時間はおよそ20分弱くらいでした。その間、授業担当の先生には当該学生以外の受講生の対応などをしていただき、当該学生の付添もしていただきました。私を含めたトレーナー3名はトレーニング場を開放する通常業務に復旧すべく原状回復などを行いました。

 通常の開放業務を行いつつ、搬送先の病院からの連絡を待ちました。自分自身人生初の心肺蘇生法の実践がとりあえず蘇生の帰結を見たのには安堵していました。しかし、少し落ち着いてから冷静に顧みると、片手による圧迫は充分だったか?胸骨圧迫開始までの時間がかかりすぎていなかった?など、不安に思うことが増えていきました。

 事故発生から約90分後、病院に付き添った先生から当該学生の意識が回復し、簡単な会話ができるようになったとの電話連絡がありました。国家試験に合格した時以来の安堵感を覚えました。意識回復の連絡を受けて、その日は通常よりも2時間強遅く帰宅しました。

5.後日の顛末

 使用したAEDは病院で詳細に解析されたらしいです。加えて、メーカーによる電池残量の点検などを経て事故発生から6日後に返ってきました。平常を取り戻しつつも、当該学生のその後の様子や原因が気がかりでした。心のもやもや感を解消すべく、AEDによって命をとりとめた実例をまとめた書籍を読んだり、インターネット上の情報にあたったりしながら日々を過ごしました。

 事故発生から約50日後の11月下旬、倒れた学生本人が挨拶に来てくれました。倒れた時は当然体育の授業中で運動着姿でしたので、私服でしっかりとした足取りで来られた時は一瞬誰だったか思い出せませんでした。30分弱話をする中で、事故発生前後の記憶が曖昧であること、精密検査のため退院が遅れかつ転院したこと、本人も気づかなかった遺伝的な疾患が原因であったこと、などを丁寧に教えてくれました。

 もし街中で人命救助をしていたら、本人からこちらを訪ねて来て頂いて詳細に説明してくれはしないのではないか?と考えると、改めていろいろな不幸中の幸いに恵まれたのだな、と感じました。

 本人から無事に学生生活に復帰できそうだとの報告を受けて、関係各所にしかるべき連絡をいたしました。事故発生から約70日後の12月下旬に消防署長から、更にそれから20日後の1月上旬に学長から、それぞれ感謝状を賜りました。ここに至ってしっかり、はっきりと心の中の整理が決着した気がしました。

6.考察および指圧師として

 日本で一般市民によるAEDの使用が認められたのが平成16年7月です。私はその年の4月にあマ指師免許を取得しました。その2年後の平成18年6月に当時住んでいた平塚市で普通救命講習を受講しました。当時はそんなに意識していませんでしたが、AEDの一般使用が認められてから比較的早い段階で救命講習を受けていたことになります。実技講習の中で印象に残っているのが、ご指導いただいた消防署員から胸骨圧迫を褒められたことです。休憩中、その方との雑談の中で「僕は指圧師なので垂直に圧すコツはつかんでいます。」とお話しさせていただいたのは今でもはっきり覚えています。指圧界の言葉に訳すと、膝で下半身の体重を支え、重ね掌圧で肘を伸ばし、上半身の体重を上手に使いながらリズミカルに圧す、とでも言えましょうか。または、胸骨体に対する重ね掌圧による手掌基部を用いた流れない流動圧法、とも(無理矢理)言えなくもないでしょうか。

 手技療法士は他人様の身体に触れることが業務の大前提です。主観ですが、中でもとりわけ指圧師は「垂直に圧す」ことに関しては一番敏感であると思います。心肺蘇生法の胸骨圧迫は、垂直に圧さなければ有効に酸素(血液)が送れないのと同時に、肋骨・胸骨損傷のリスクがあるとされています。「垂直に圧す」ことを学び、習得していて良かったとその当時も思いましたし、実際に人を助けることができた今も思っています。

 先にも述べた通り、脈をとるスキルも指圧師は長けていると思います。基本指圧において腋窩を圧す時、ポイントをきちんと押さえられているか否かを確かめる手段として橈骨動脈を触診します。何回も繰り返し行えば、たくさんの人の様々な脈の様子が指先にカルテのように蓄積されていきます。異常な脈だと判断できたのもこのおかげだと思っています。

 日々の業務に追われて忙しいあマ指師の方々も多いとは存じますが、ぜひお近くの消防署や日本赤十字社が主催する救急法講習会を受講することを強くお勧めします。確率はかなり低いかもしれませんが、救急救命の現場に居合わせた時に慌てなくて済みますし、指圧師のスキルの応用としては親和性がかなり高いとお気づきになるはずでしょう。

 ちなみに講習で使われる人形は、胸骨圧迫の感触が実際の人間を圧迫したときの感触と驚くほど似ています。開発者の努力に頭が下がります。

7.おわりに

 事故発生から約1年後、生涯3度目となる救急法の講習を受講しました。人を助けたからといって決して驕っていたわけではないのですが、電極パッドを貼る位置などのズレをご指摘いただきました。救急法のスキルも指圧のスキルも、日々勉強してブラッシュアップしていく必要性を感じました。
 また、想像の範疇を超えませんが、精神的にも物理的にも人様と接触する指圧師のスキルは、介護や保育や生活の様々な場面で応用可能なはずです。いずれはそちら方面の研究もしてみたいです。


参考文献 

1) 石塚寛:指圧療法学 改訂第1版,国際医学出版,2008
2) 島崎修次 監修,田中秀治 編:AED 街角の奇跡,ダイヤモンド・ビジネス企画,2010
3) 日本赤十字社 編:赤十字救急法基礎講習,日赤サービス,2012 


随筆:花粉症施術の周辺事項:長谷川有基

長谷川有基
MTA指圧治療院

 一つテーマを決めて施術をして纏めるのはこんなにも大変かと思ったが、その分普段考えないようなことを考えることも色々とあった。個人的な考えが多く含まれるので、本文とは別に書いておきたい。

 施術にあたり、頚部と腹部を特に意識した。鼻閉は鼻粘膜の浮腫により鼻腔内が狭まった状態にある。主に血管透過性の亢進によるのだろうが、頚動脈鞘周りを弛めてやれば静脈還流が滞りなく行えて、浮腫は軽減するのではないか。また、腹部施術により細動脈を中心とした内臓の血管が広がって隅々まで血液が行き渡れば、結果的に頭頚部へ分布する血液は減り、さらに軽減するかもしれないと思ったからだ。しかしそう考えて、結果鼻閉が改善したからといって本当にその通りになったのかはわからない。上手くいったと思いたい。

 施術中や後の鼻閉については、首の角度と姿位による頚部の圧迫などの影響が考えられる。あるいは腹臥位での出現が多いことから、施術枕とフェイスタオルで顔の周りが塞がれて呼吸する空気の温湿度が変化したため、ということもありえる。なんにせよ、他の体位で施術すれば回避できるかもしれない。仰臥位での施術時に改善が多いから腹臥位から始めるのもいいかもしれない。今回は手順を統一するため、体位や順序を変えることはしなかった。

 気になったのは、症状の強いときほど首が硬く弛みにくく、仕事が多忙であったり疲労が強いほど症状も強くなるような印象を受けた。人間は全体で一つとして機能している。ある症状に対して、どこここを施術する、というよりも、いかに基礎的な全身状態の改善ができるかがポイントになるのかもしれない。そういった意味で、頚部の施術が自律神経系へ及ぼす影響だとか、首のとくに後ろ側が弛むと全身の抗重力筋などが弛むことは、全身の調整に役立っているのかもしれない。

  花粉症はⅠ型アレルギーに分類される。以前、Ⅰ型アレルギーは衛生仮説とTH1/TH2のバランスで説明されていた。大まかにいうと、乳幼児期の環境が清潔すぎるとエンドトキシンに触れる機会が減り、TH2が多くなりやすい。TH1とTH2のサイトカインはお互い拮抗して働き、TH2サイトカインはIgE産生を誘導するため、TH2優位だとアレルギーになりやすい、というもの。近年ではTH1/TH2に加え、TH17や制御性T細胞などのバランスやその他サイトカインが関連してくることがわかっている。

  指圧施術がこれらのどこかに影響を与えたのか、それとも前述の基礎的な全身状態が影響したのかわからない。もしアレルギー機序に影響したのならこれはなかなか面白くなってくる。

 今回の論文では症例数が少ないことを考えると、施術と全く関係ない理由で改善した、ということもないとはいえない。そういうことがあるためにできれば症例数は多いほうがいいが、現実にはなかなか難しい。仮に五十症例は欲しいとすると、1回1時間として1日8人ペースでも週6日はかかる。累積効果を見るためにある程度継続して全8〜12回、日常生活の個人差・変動に影響されにくいように受けるペースを週1回とすると、それだけで2〜3ヶ月はほぼ付きっ切りになってしまう。その間の生活や体調管理、被験者のスケジュール調整など考えると、個人ではかなり難しく大きな負担となる。論文を切っ掛けに実際に追試として施術を行っていただけるとありがたい。

 ある程度の集団で施術を行い、その結果を共有できる場を作れないかと思う。個人的にはできれば三桁くらいの症例は最低限欲しいし、追試の結果をフィードバックする場は必要だと思っている。しかし、薬の臨床試験とちがい、施術の方法や技量や刺激量の定量化などが難しい(○○kg重の圧で、などと強さを一定にする試みも見たことがあるが、これには少なくとも二つの問題がある。ひとつは刺激を受ける被験者の身体は同じではないので圧力を一定にするとむしろ強さが異なること、もうひとつはそもそも手技療法とはそういうものではないという根源的なものである。もしそういうものであったならば、マッサージ機器や医療用器具は今よりもっと違った形になっていただろう)。対照群を設定するとしても、偽薬のような物を使うわけにもいかないため、同じ時間ただ横になってもらう、という方法への理解も得にくいだろう。

 折角施術をして論文を書いたのだから多くの人に利用して欲しいし、より改善して良い物ものを作りたい気持ちもある。

 多忙や疲労は広い意味でストレスだが、ストレスとアレルギーの関連で言えば、TH1/TH2のアンバランスな状況をもたらす機序のひとつとして、ストレス刺激が挙げられている1)。 またストレスとの関連疾患では、潰瘍性大腸炎、リウマチ性関節炎(RA)などの自己免疫疾患が挙げられているのは興味深い2)。自己免疫疾患はTH17が自己抗原に反応して異常発達・増殖し、免疫システム全体のバランスが取れなくなった状態とも言われており、ストレスはTH17にも影響しているのかも知れない。

  神経系、内分泌系、免疫系は関連して機能している。ストレスはそれらに対しても影響を与える(ハンス=セリエ、ストレス反応)。人体をひとつのシステムと捉えれば、指圧施術が自律神経系に影響を与えたことで、他のサブシステムである内分泌系や免疫系へも影響を及ぼし、システム全体の機能が調整された、と考えることができる。しかし、起きた出来事はひとつだが説明のしかたは無数にあり、その説明が妥当かどうかはまた別の問題だ。裏付けがないという意味では、指圧で宇宙のパワーを注入しただとか、先祖の祟りが、などというのと変わらない(断っておくが、別に呪術を否定しているわけではない。呪術と医療が同一の時代もあったし、呪や念だとかはそれを扱うのが人間の心だということを考慮するとバカにはできない。ただ現代の医療というカテゴリーには適さないというだけである)。気が云々という説明の仕方もあるが、日本人は“気”というと内容が支離滅裂でも何となく判った気になってしまって納得してしまうところがあるので、使用する場面には話し手・聞き手の双方が注意を払う必要がある。

  指圧の研究やその方法が発展し、体内の変化を上手くモニタリングできれば、より事実に寄り添った説明ができる。煎じ詰めれば五十歩百歩だが、怪しげな理屈をこねなくて済むのは精神衛生上大変よろしい。

引用文献

 1)STEP内科1 神経・遺伝・免疫, 第3版, p.303, 海馬書房, 東京, 2010
 2)トートラ 人体の構造と機能 第2版, p.666, 丸善, 東京, 2008

参考文献

アレルギーは何故起こるか ヒトを傷つける過剰な免疫反応の仕組み 斉藤博久 講談社